内部被ばくについて、自主的に学習し、周りの方々に広めていくための会
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内部被ばくと健康被害

東京第一原発は地震動によって配管に小規模な亀裂が入って、冷却水を失ったのはないか?

 2011年3月11日午後14時46分18.1秒、東北沖で東西200km、南北500kmに渡る範囲で岩盤が崩壊し、Mw9.0の東北地方太平洋沖地震が発生しました。この地震によって、東京電力福島第一原子力発電所は、冷却水を運ぶ配管が強烈で長時間にわたる地震動で破損し、冷却水を失った可能性があります。そのために、メルトダウンが起きたのではないか。この場合、仮に非常用電源があり、水が送れても、配管にひびが入ってしまい、冷却水が漏れてしまったのなら、メルトダウンは避けられなかった可能性があります。  川内原発や高浜原発の再稼働「合格証」(案)が原子力規制委員会によって出されましたが、果たして地震に耐えうる設計なのでしょうか?  川内原発の基準地震動は引き上げられても620ガル。高浜原発3、4号機の基準地震動も引き上げられても700ガルです。新潟中越地震の際、東京電力柏崎刈羽原発の1号機の岩盤では1699ガルを記録しました。この新潟中越地震のマグにチュードはM6.8。しかし、1909年宮崎県西部の深さ約150キロで推定M7.6のスラブ内地震が起こり、宮崎、鹿児島、大分、佐賀で震度5を記録して各地に被害が生じました。スラブは鹿児島県の地下にも存在しますから、もっと川内に近いところのスラブ内大地震を想定すべき、と地震学者 石橋克彦氏は指摘しています。  国会事故調の報告書では、少なくとも1号機は地震によって配管に亀裂が入った可能性を指摘しています。原発の再稼働、原発の安全性を言うなら、少なくとも基準地震動1699ガル(新潟中越地震 東電柏崎刈羽1号機岩盤での計測値)以上の耐震設計を示すべきです。  もう「想定外だった」の言い訳は聞きたくありません。  国会事故調の報告書では ① 東京電力福島第一原子力発電所1~4号機では基準地震動は600ガルであったのに対し、東北地方太平洋地震による福島第一原子力発電所の敷地南部の東西方向の地震波の観測のうち、「はぎとり波」での最大加速度は675ガルであった。つまり、1~4号機の敷地の基盤の地震動は想定していた基準地震動を超えた。 ー国会事故調 報告書 pp.200 ② 同じ敷地内でも、1~4号機が存在する南部と、5、6号機が存在する北部とでは南側の地震動の方が強い。5、6号機の地震記録や解析を1~4号機にあてはめることはできない。 ー同 pp.201 ③ 原子炉圧力容器につながっている大小さまざまな配管ー主蒸気管、給水管、再循環系出口配管、再循環系入口配管、非常用炉心冷却(ECCS)系配管、非常用復水器(IC)系配管などーが破損すると、冷却材の水が噴出する、「冷却水喪失事故」(Loss Of  Coolant Accident:LOCA)に発展する。 ー同 pp.205 ④ 大口径の配管が完全破断(ギロチン破断)すれば、大破口冷却水喪失事故(LB-LOCA)になるし、同じ大口径の配管でも微小貫通亀裂ならば小破口冷却水喪失事故(SB-LOCA)になる。また、中間的な中破口冷却水喪失事故(MB-LOCA)もある。東電が公表している、地震発生後から全交流電源喪失(SBO)までの原発のデータを見る限り、1~3号機で、大破口冷却水喪失事故(LB-LOCA)は起きていないと考えられる。しかし、公表されているデータだけから、小破口冷却水喪失事故(SB-LOCA)が起きたか起きなかったか、断定的に言う事はできない。 ー同 pp.205 ⑤ 1号機は、非常用復水器(IC)が2011年3月11日14時52分に自動停止してからわずか11分で原子炉圧力が約6.8メガパスカル(MPa)から約4.5メガパスカル(MPa)まで急激に降下した。これはなぜか、「故障の木 解析」(FTA)という手法を使って解析すると、冷却水が漏れる面積が3cm2ならば、原子炉水位は急激に降下するはずなので、ありえない。しかし、冷却水が漏れる面積が0.3cm2以下の小破口冷却水喪失事故(SB-LOCA)が起きたとすると、原発のデータ(原子炉圧力や水位の変化)からそれを推測することはできない。しかし、0.3cm2以下の冷却水の漏えいでも1秒間あたりの水の漏えいは約2L、1時間で7.2t。10時間では72tにもなり、メルトダウンが10時間以内に起きても不思議ではない。 ー同 pp.205~211 ⑥ 1号機で小破口冷却水喪失事故(SB-LOCA)が起きた可能性は否定できない。1号機のある運転員は、尋常ではない“ある音”を聞いていた。その運転員は、原子炉停止(スクラム)直後だったと述べたが、その時、非常用復水器(IC)は稼働していたとも述べている。原子炉停止(スクラム)は2011年3月11日14時47分、非常用復水器(IC)の自動起動は同日14時52分、5分間のずれがある。したがって、運転員が言う“尋常ではない音”が聞こえたのは同日15時少し前だろう。別の運転員が聞こえているこのゴーっという音は何だろう。」と聞いたので、その運転員は「IC(非常用復水器)の排気管から出てくる蒸気の音ではないか」と答えたという。  しかし、これは非常用復水器(IC)から出てくる蒸気ではありえない。非常用復水器(IC)が手動停止されたのが、同日15時03分。実質11分しか作動していない。停止時でもタンクの水の温度はせいぜい70℃。これでは蒸気どころか湯気もでてこない。中央制御室の1号機用ホワイトボードにも「廊下側からシューシュー音 有」と書かれている。 ー同 pp.212~213 国会事故調 報告書 東京電力福島第一原子力発電所事故調査委員会 2012年9月30日   地震学者が「川内原発の審査は『耐震偽装』ともいえる大問題」と警告 2014/9/29 07:00 dot. http://dot.asahi.com/wa/2014092600031.html 川内原発の再稼働に向けた政府方針の書面を伊藤祐一郎鹿児島県知事(右)に手渡す上田隆之資源エネルギー庁長官 (c)朝日新聞社  九州電力の川内原発(鹿児島県)が再稼働に向けて急ピッチで動き始めた。審査書を原子力規制委員会が正式決定し、政府は再稼働を進めるという文書を交付した。だが、「原発震災」を早くから警告してきた地震学者の石橋克彦・神戸大学名誉教授は、審査書は無効だと訴える。 *  *  *  これまで川内原発の審査書に対する批判は、火山噴火が軽視されているとか、避難計画が不十分であるとかが大半でした。しかし、地震に関して重大なことが見過ごされています。  福島原発事故の反省に立って原子力規制行政が抜本的に改められ、国民の不安と不信を払拭(ふっしょく)すべく新規制基準が作られたはずです。全国初となる川内原発の審査書は、その試金石です。  ところが、新基準自体の欠陥は脇に置くとしても、新基準のもとで規制委員会がきちんと審査したかというと、実はそれが驚くほどいい加減なのです。 ――九州電力の申請書は9月10日、規制委員会によって「新規制基準に適合する」と認められた。12日には政府が再稼働を進めることを明記した文書を、上田隆之・資源エネルギー庁長官が鹿児島県の伊藤祐一郎知事と同県薩摩川内市の岩切秀雄市長に手渡した。政府のお墨付きを得たことで、九電は再稼働に向けた準備を着々と進めていくことになる。だが、石橋氏は月刊誌「科学」9月号に、そもそもの審査がおかしいと批判する論文を発表した。どういうことなのか。  一言でいうならば、耐震設計の基準とする揺れ=「基準地震動」を策定する手続きが規則で決められているのに、それを飛ばしているのです。これは基準地震動の過小評価につながり、法令違反とさえ言えます。  原発の安全上重要な施設は、基準地震動に対して無事であることが求められています。そのため、「内陸地殻内地震」「プレート間地震」「海洋プレート内地震」について、敷地に大きな影響を与えると予想される地震を複数選び、それらによる地震動を検討することになっています。  しかし九電は、活断層による内陸地殻内地震しか検討しませんでした。プレート間地震と海洋プレート内地震については、揺れは震度5弱に達せず、原発に大きな影響を与えないとして無視したのです。  実は、けっしてそうは言い切れません。地震学的に、具体的な懸念があるのです。ところが審査では、九電の言いなりにしてしまった。  プレート間地震については、社会問題にもなっているように、内閣府の中央防災会議が駿河湾~日向灘にマグニチュード(M)9級の南海トラフ巨大地震を想定しています。そこでは、川内付近の予想最大震度は5弱に達しています。  しかも、これは全体の傾向をみるための目安にすぎないので、特定地点の揺れは別途検討するように言われています。震源のモデルを安全側に想定すれば、川内では震度6になるかもしれません。  海洋プレート内地震については、九州内陸のやや深いところで発生する「スラブ内地震」が重要です。「スラブ」というのは、地下深部に沈み込んだ海洋プレートのことです。  1909年に宮崎県西部の深さ約150キロで推定M7.6のスラブ内地震が起こり、宮崎、鹿児島、大分、佐賀で震度5を記録して各地に被害が生じました。  スラブは鹿児島県の地下にも存在しますから、もっと川内に近いところのスラブ内大地震を想定すべきです。そうすれば川内原発は震度6程度の揺れを受ける恐れもあります。  基準地震動は1万~10万年に1度くらいしか起きない地震を想定すべきものです。だからプレート間巨大地震とスラブ内大地震も検討する必要があるのに、九電も審査側も、規則を無視して「手抜き」をした。  九電は、内陸地殻内地震による基準地震動については、原発から少し離れた活断層で起こるM7.2~7.5の地震を想定して、最大加速度540ガル(加速度の単位)としました。  南海トラフ巨大地震とスラブ内地震では、この値を超えるかもしれません。前者については、九電は免震重要棟のために長周期地震動をいちおう検討しましたが、内閣府の震源モデルの一部をつまみ食いしただけの不十分なものです。  仮に最大加速度が540ガルより小さかったとしても、プレート間地震とスラブ内地震は活断層地震とは非常に違った揺れ方をするので、基準地震動を策定して重要施設の耐震安全性をチェックすべきです。  川内原発の基準地震動は620ガルとよく言われますが、これは直下で震源不詳のM6.1の地震が起きた場合の想定最大加速度です。しかし、活断層がなくてもM7程度までの大地震は起こりうるので、これは明らかに過小評価です。  2007年新潟県中越沖地震(M6.8)では東京電力柏崎刈羽原発の1号機 の岩盤で1699ガルを記録しました。地震の想定と地震動の計算の不確かさを考えれば、最低その程度の基準地震動にすべきです。

佐賀県知事には玄海原発再稼働を止め、オスプレイ配備を許さない知事を!1月11日選挙投票日。

全国のみなさま  広瀬隆です 玄海原発再稼働計画が目前に迫っています。しかし勝利できる佐賀県知事選が今月11日です。島谷ゆきひろ(しまたに ゆきひろ)候補への選挙援のお願いです。 北九州からの熱烈な呼びかけを転送させていただきます。 *** 以下、転載 ***  佐賀知事選を戦っています。完全無所属・市民候補の「島谷ゆきひろ」さんを応援しています。  ご存知のように、自民候補が分裂、共産党も候補を立てず、島谷候補に勝機はあります。 争点は「玄海原発再稼働と佐賀空港へのオスプレイ配備」で、島谷候補はそれに反対している唯一の候補者です。  今日まで、嘉田由紀子・元滋賀県知事が応援に入っています。 昨日は、井原・元岩国市長も応援に来て下さいました。 自民候補が勝てば、必ず再稼働され、オスプレイも入ってきます。  ぜひ、MLで全国へ「島谷ゆきひろ」への支持お願いをしていただけませんでしょうか。 何卒よろしくお願いいたします。 嘉田由紀子・元滋賀県知事「私が最も悔しかったのは、原発の立地自治体の知事ではなかったこと。自分の発言や姿勢では、原発を止めるための決定的な効果がなかった。しかし、島谷ゆきひろさんが知事になれば、再稼動阻止の決定的な意味を持つ!原発を止める全国の運動を、佐賀から始めることができる!」 嘉田由紀子「さがの友達さがそう!」プロジェクト提案。 2015年1月11日、佐賀県知事選挙にむけて全国から島谷幸宏さんを、次のようなみっつの方法で応援してください! (1) 年賀状の挨拶に「さがの友達をさがそう!」メッセージを。(2)お正月休みを利用して、佐賀県知事選挙に応援に行こう!(3)お金や組織応援のない手づくりの知事選挙応援に、金銭的カンパを!  今、日本の未来を占う大事な知事選挙が九州、佐賀県でくりひろげられています。12月25日公示、1月11日投票の、まさにお正月知事選挙です。  佐賀県には九州に二か所ある原発のうち、「玄海原発」が立地しています。「立地自治体」の知事の権限は「原発再稼働」判断の重要な砦です。鹿児島県の川内原発再稼働も、地元伊藤鹿児島県知事の判断が大きく効いています。 あわせて、日本中を軍事基地化しようとする安倍政権による「オスプレイ配備」も、利用が少ない佐賀空港がねらいうちされて進もうとしています。  2014年12月の電撃衆議院解散で、古川康佐賀県知事が、3期目途中で知事職を投げ出し、自民党推薦の衆議院選挙に打って出たところからはじまった知事選挙です。  古川知事は、私自身、知事時代からよく知っていますが、原発再稼働やオスプレイ誘致など、県民の命と暮らしにかかわる重大事を、安倍政権の国の言いなりになって国任せにして、自分は天下りのように国会議員になる、という姿勢が全く理解できませんでした。  知事職は県民の命を愛するところからはじまります。古川さんは過去12年近く、本当に県民を愛する県政をすすめてきたのか?佐賀県民が判断する機会が今回の知事選挙です。  古川さんは、自分の後継として、総務省の後輩官僚の、元武雄市長の樋渡さんを推薦しています。  一方、古川知事退任による知事選挙候補者には、九州大学大学院教授の島谷幸宏さんが立候補しています。  教授というと硬い感覚でしょうが、島谷さんはまったくちがいます。島谷さんは、今回の出馬理由にあるように「おもやい佐賀」という、「もやい=人と人のつながり」を重視した参加型県政を進めようとしています。  島谷さんとは、私自身も20年以上前から、人と自然が近い関係で、いきいきとした川との共生、川づくりの運動でいっしょに活動してきました。一緒に出版した本も数冊あります。  さて、12月23日、学校校務のない祝日を活用して島谷幸宏さんの応援に伺いました。  2006年7月、「泡沫候補」と言われながら、県民の皆さんの「鉛筆一本の勇気」で「自公民200団体推薦」の現職「軍艦選挙」に体当たりした私自身の「手こぎ舟選挙」を思いおこしました。  まさに今回の島谷さんの選挙は「軍艦に体当たりする手こぎ舟選挙」です。  是非とも全国の皆さんからの、人的、組織的、経済的支援をお願いしたいと思います。 *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆* 皆様へ心よりのお願い【この佐賀選挙は全国選挙!「佐賀の玄海原発とオスプレイを止めることが日本全国の命と環境を守る!】 12月25日スタート・1月11日投開票 衆院解散総選挙の影響で、前代未聞の年またぎ選挙  島谷ゆきひろは、原発と佐賀空港へのオスプレイ配備に反対するただひとりの候補者です。他候補者が知事になれば、必ず原発再稼働、佐賀空港の軍事基地化に繋がり、全国へ影響を及ぼします。  FB、ツイッターなど「いいね」やシェア、フォロー、リツイートして、皆様のお力で「島谷ゆきひろ」をどうか全国へ広めて下さい。  佐賀のご友人・ご親族に投票依頼をしてください。 *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*◆島谷ゆきひろFBhttps://www.facebook.com/shimataniyukihiro?fref=ts◆ツイッター島谷ゆきひろ事務所  @Yshima_jimusyo ちなみに、選挙事務所は佐賀市柳町1-7 (呉服元町交差点)です。 ◆島谷ゆきひろHP(政策詳細)http://shimatani-yukihiro.com/◆島谷ひろゆきツイキャスhttp://twitcasting.tv/moyamontv/*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆ 完全無所属・市民選挙の島谷ひろゆきは、お金がかからない手作り選挙を目指していますが、それでも最低限の資金が必要です。供託金以外は、皆さんからのカンパでまかなっています。全国の原発再稼働、オスプレイ配備うぃ止めるためにも、ぜひ、全国よりあたたかいご支援をお願いいたします。 *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*●振替先●ゆうちょ銀行 振替口座口座記号番号 01700−9−165767口座名義 島谷ゆきひろ後援会*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆* ※お一人が寄附できる金額は1円〜150万円です。※企業や団体からの寄附は受け取れません。外国の方からの寄附も禁止されています。※法律により、ご寄附いただいた方のお名前・ご住所・ご職業が必要です。通信欄にご記入の上、お振込みをお願いします。※寄附控除をお受けになりたい方は、お申し出ください。

肺の中の「ホット・パーティクル」を巡って エフゲニー・P・ペトリャーエフ

肺の中の「ホット・パーティクル」を巡って エフゲニー・P・ペトリャエフ  1991年11月9日「チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク 夕食会にて  エフゲニー・P・ペトリャエフ(Evgeny P.Petrayev )博士はベラルーシ大学放射線化学研究科教授。チェルノブイリ事故による環境汚染を調査研究。ベラルーシ共和国の住民の肺にプルトニウムなど放射能をおびた微粒子を検出した。この「ホット・パーティクル」について、1991年11月に開かれた国際プルトニウム会議で特別講演のため来日。主催者側の御好意で、2011年11月9日、「チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク」は博士を囲む夕食会を開いた。 〔本文より抄録。部分的に川根が意訳、現代の単位系に直した。〕綿貫礼子+チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク『誕生前の死』藤原書店 1992年7月30日 pp.103~121    私は今回私の論文「チェルノブイリ事故による人間の肺の中のプルトニウムとホット・パーティクルの存在」を持ってきました。今回の国際プルトニウム会議に参加された方々だけではなく、広く日本のみなさんに興味を持ってほしいと思います。なぜならば、日本では非常に多くのプルトニウムが作られているからです。  チェルノブイリの原発は190tのウランが濃縮度2%で使われていました。  そして、運転中に300kgから400kgのプルトニウムが作られていました。爆発の時、その3から6%の核燃料が大気中に放出されました。その結果、この事故の際に20kgのプルトニウムが大気中に放出されました。他にも、セシウム、ストロンチウムなど放射性核種も放出されました。日本では何十トンものプルトニウムを作る計画が進められているとのことですが、これは危険なことです。   この事故の際に放射性物質は数マイクロメートル(μm)から10マイクロメートル(μm)の大きさに粉々になって飛び散りました。この大気中に飛び散った微粒子は、その後土壌の中に入り込みました。私の論文に載っている写真を見て下さい。これは数マイクロメートル(μm)の微粒子です。5年間たっても(この講演はチェルノブイリ原発事故後5年目の1991年に行われた)この微粒子が地面の下1cmのところに留まっています。そして、この微粒子がどの程度あるのかと言いますと、1cm×1cmの地面の区画に、1~10個の微粒子があります。この微粒子は外部からの影響によってなかなか壊れることがありません。これが地表1cmという上部にあるため、簡単に大気中に混じることになります。とりわけ農作業中にはそういうことがあります。そのために大気に混じった微粒子がさらに肺に入る可能性があります。首都ミンスクだけでなく、ベラルーシ全域の大気中にこのような微粒子が存在します。  (編集者:注)モズィリ、ゴメリ、モギリョフ、ブレストの位置は以下の通りです。  この大気と接している土壌中の放射性微粒子の濃度がたいへん高いために、これが人体の肺の中にも見られます。その人が生きている間に肺の中に入り込んだ微粒子を取り除く方法はありません。ですから私たちが研究のために肺の中からその微粒子を摘出するにあたって、亡くなった人の肺から切除しています。調べた死体の数が少ないので、それをもとにして今生きている人たちの肺の中にも同じようにあると断言することはできません。生きている人のことを研究するためには、亡くなった人の事例をたくさん集めないと分かりません。この仕事は1987年に始め、現在までに300以上の死体を検査しています。これからお見せするのは、亡くなった人の肺の中の放射性微粒子の写真です。これは10gの肺の断片を取っただけです。少なくとも50個の微粒子が存在しています。もし150g取ったらどうなるでしょう。そしたら100個以上の微粒子が検出されます。私たちが調査した地域で、300体のうち70%くらいにこういった微粒子が見られるということは、その地域の住民の人の肺の70%にも、このように微粒子(ホット・パーティクル:編者注)に侵されているといえるのではないでしょうか。  チェルノブイリ原発の原子炉からは20kgものプルトニウムが飛散しました。ですから原子炉のすぐそばに住んでいる人だけでなく、原子炉から200kmあるいは300km以上離れたところに住んでいる数百万人の人の中にも同じような状況が見られるのではないでしょうか。私はこのテーマ以外のチェルノブイリのことについても研究しています。 <質疑応答から 抜粋> Q(綿貫礼子) 事故が起きたとき先生は専門家ですから、ホット・パーティクルが肺に入るかもしれないということを予見されていたのでしょうか? A(ペトリャーエフ) いいえ。ホット・パーティクルが肺に入るということは予期していましたが、こんなに多くということはまったく予期していませんでした。もちろん原発事故の除染のため、4号炉に入って作業した労働者については、マスクをずっとつけたまま作業するというのは不可能ですから、ホット・パーティクルが肺に入るということは予想していました。しかし、100kmも離れたベラルーシでこのように多くの住民が被害を受けることはまったく考えていませんでした。  Q(NHK記者)国際原子力機関(IAEA)をはじめ、さまざまな機関が発表している被ばく線量と、実際に起こっている病気の出方、疫学調査の数字との間に非常に大きな開きがあるように感じるのですが。 A(ペトリャーエフ) 最初に申し上げたいことは、1986年と1987年に放射能によって汚染された食品がベラルーシ中に出回って、ベラルーシの人びとがみんなそれを食べましたので、その汚染地域にいた住民だけでなくベラルーシの国民すべてがその影響を被ったということです。  IAEAの見解に、私は批判的なのですが、IAEAの結論は1300人くらいを調べて出されたものです。みんなが汚染されたものを食べたので、まったく汚染されていない地域というものがなくなってしまったのです。 (編者注)医学における臨床データでは、「対象群」との比較をします。あるガン治療薬の試験では、偽の薬と試験対象の薬を同じ人数同じ期間投与し、その後の予後を診ます。そして5年間生存率を出し、このガン治療薬が利き目があるかないかを判断するわけです。偽の薬(例えば、小麦粉のかたまり)を投与されたグループを「対照群」と言います。  IAEAがベラルーシで調査した住民の健康影響は、「対照群」も放射能で汚染されていた食べ物を食べたわけですから、「対照群」と言えない、ということです。「対照群」が存在しない、科学的データとは言えない、とペトリャーエフ氏は批判しています。 A(ペトリャーエフ) IAEAの報告にあった被ばく線量と発病率との相関関係に乖離(かいり)があるというのはその通りです。それをきちんと確かめるには10万から15万人の検査をしなくてはいけない。ちょうど広島・長崎で行われたと同じように。私たちはそんなにやっていません。このデータはソ連にとって重要なだけでなく、全世界の人びとにとって重要なものですから、全世界の専門家や人びとがぜひ参加する必要があります。 (編者注)ペトリャーエフ氏が言及している、広島・長崎の10万人を超える調査とは、LSS(寿命調査)と呼ばれるものです。広島・長崎の被爆者約12万人の集団の調査を1950年から2009年まで行い、そのうち直接個人線量の推定されているのは86,611人です。2003年までの追跡期間中に50,620人(58%)が死亡し、そのうち総固形がん死亡は10,929人でした。   しかし、この疫学調査は疫学調査としての基本的なベースに問題があります。それは広島の対象群を呉市にしていることです。呉市は広島市からたった19kmしか離れていませんでした。東京第一原発から飯舘村までは30~50km圏内です。飯舘村住民と双葉町・大熊町で被ばくした住民との比較をしたと同じことです。 『成人健康調査集団におけるリンパ球絶対数についての長期的観察、広島・長崎』放射線影響研究所 日米共同研究機関pp.12より 広島・長崎における原爆被爆者のリンパ球に関する最近の調査は完了していない。初期の所見はBlaisdellが1947-1959年に両市のABCCで行われた血液学的調査を要約し報告している。1947-1948年(被爆から19-32カ月後)に広島の被爆者に関する血液学的調査(HE67)が行われ、これは原爆後130日以内に脱毛を呈した広島の被爆者16,000人以上の中から選ばれた924人を対象とするものであった。当時、この集団の総被ばく線量中のガンマ線は、300-700rad(300-700ラド→3-7グレイ、これは3-7シーベルトに相当)と推定された(ただし、20%が爆心地から2,000m以上の地点で被ばくしていた。)対照群は呉市(旧広島市から約19km)の住民995人からなっていた。この両集団について白血病数算定及び白血球分類像検査が行われた。全白血球数は広島の被爆者と、呉の対照群ではほほ同じであったが、広島では相対的リンパ球数はやや少なく、好酸球数はやや多かった。1948-1949年に、同一ではないが大体同じ対象者を用いて行われたHE67追跡調査では、広島の被爆者と呉の対照群との間にリンパ球百分比に差は認められなかった。 以上、編集者(川根眞也)の注でした。Q&Aに戻ります。 A(ペトリャーエフ) ベラルーシの保健省が1991年5月に出した統計があります。この統計はモギリョフとゴメリの住民の健康状態について、チェルノブイリの事故前の5年間と事故後の5年間の統計を比較したものです。これによってチェルノブイリの事故の影響を知ることができます。一方で、原発事故のときから今までの間に住民が受けた被ばく線量を知る必要があるわけですが、これを調べることは困難なことです。というのは、原発事故の初期に住民がどれだけの線量を受けたか、わからないからです。 (編者注) 長瀧会議(「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」)では、福島県他の人びとの被ばく線量を推定していますが、この初期被ばく、特に内部被ばくを無視した、被ばく線量評価をしています。 Q(吉田由布子) 土壌の中のホット・パーティクルは風によって空気中を移動したり、水中に落ちて川を汚染するといった形で、今も汚染が広がっている、動いている可能性はありますか。 A(ペトリャーエフ) 地面の中にあるホット・パーティクルは非常にゆっくりとしか動かないんですが、表層のは動きます。大気中のホット・パーティクルは特に春、強い風が吹くときに大きな移動があります。 (編集注) 2013年8月、東京第一原発の3号機屋上のがれき撤去作業の際、放射性物質が17km離れた南相馬市旧太田村などにまで飛び、お米が最高180ベクレル/kgの放射性セシウムで汚染されました。原子力規制委員会は、「これは3号機がれき撤去が原因ではない」と発表しましたが、以下の農林水産省、福島県の資料をよく読めば、放射性物質が飛んできて稲の穂についたためであることがわかります。そして、それは放射性セシウムが単独で飛んだものではなく、ホット・パーティクルだったのではないでしょうか。夏の南東の季節風によって運ばれたものであると考えらます。 農林水産省 福島県 南相馬市における玄米の基準値超過の発生要因調査(調査結果) 2014年12月1日公表 以上、編集者(川根眞也)の注でした。Q&Aに戻ります。 Q(綿貫礼子) まだ公表されていないデータ、事故処理に関わった人たちの健康に関するデータは誰が持っているのですか? A(ペトリャーエフ) 事故処理をした人たちについて研究しているの学者たちは保守派に属しています。チェルノブイリ原発の事故処理に60万人の人たちが参加しました。その人たちの健康状態については秘密にされています。もちろん、ソ連保健省の生物物理学研究所のレオニード・イリイン博士は知っています。それからもうひとつはレニングラードに軍事医科大学というのがあってそこで研究しています。データは門外不出になっていて私も知りません。  このレニングラードの軍事医科大学の研究所は国防省の管轄で、事故処理に関わった軍人は、このレニングラードの医科大学で全部検査されました。軍人以外の一般市民や労働者の事故処理に関わった人びとは、ソ連保健省生物物理学研究所か、またはそこにある病院で診察され、データはすべてL・イリイン博士のところに保管され、他のところには出ていません。 Q(綿貫礼子) それじゃ国際原子力機関(IAEA)にも出していないんですか。他のところは知らないんですか。 A(ペトリャーエフ) もちろんそうです。 Q(綿貫礼子) だから、今回の国際原子力機関(IAEA)の報告書には、その他の最も強く被ばくした集団のことが一行も書かれていないのですね。 以上。  以下、エフゲニー・P・ペトリャーエフが来日される前年1990年7月9日に朝日新聞渥美記者が書いた記事を紹介します。 多量の高放射能微粒子 住民の肺に存在 白ロシア 朝日新聞 1990年7月9日 【モスクワ8日=渥美記者】  4年前(1986年4月26日)にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で大気中に放出された「ホットパーティクル」と呼ばれる高い放射能をもった微粒子が、白ロシア共和国の放射能汚染地域に住んでいる住民の肺の中に予想を超えるほど多量に存在することがわかった。同共和国のミンスク大学放射線化学研究室のエフゲニー・ペトリャエフ教授が朝日新聞の取材に対して明らかにしたもので、1年半にわたる住民の遺体解剖で得た肺の標本とレントゲン写真を示し、「5年後ぐらいから肺がんが多発する可能性が大きい」と警告した。詳細なデータは近く国際原子力機関(IAEA)に提出される。  ペトリャエフ教授が解剖した遺体は200体。チェルノブイリ原発の北に位置し、放射能汚染指定地が多数点在するゴメリ州の住民がほとんどで、交通事故や一般的な病気で死んだ11歳から70歳までの男女。全員の肺を摘出して調べた結果、7割の人の肺からホットパーティクルを検出した。  ソ連国内の広範な土地の放射能汚染の主役は、炉心から飛散した揮発性のセシウムだが、ホットパーティクルはいくつかの不揮発性の放射性物質の混合物だ。爆発の時、2000度以上の高温で溶けて結晶化した核燃料ウランが主体で、その中に猛毒のプルトニウム、ルテニウムなどが混じっている。  肺の中にあった粒子の直径は0.01ミクロンから4ミクロン、細かなものは肺の深部、大きなものは気管支近くに分布していた。1人の肺全体のホットパーティクルの数は、数百から2万前後まで。1つの粒子の放射能の強さもさまざまだが、セシウムのように尿中から排出されることはなく、死ぬまで肺の中にとどまり放射線を出し続ける。ペトリャエフ教授は「1個平均を1億分の1キュリーと推定すれば、2万個あれば何年かあとにほぼ確実にがんを引き起こす」という。      

福島の原発事故で100ミリシーベルト以上の被ばくをした住民は1003人

 「福島県ではガンは増えない」「108人の子どもたちの甲状腺がんは放射線の影響ではない」と、福島県立医大、放射線医学総合研究所、環境省、文部科学省、東大グループなどが大合唱しています。 原発事故早期帰還と生活再建のために 河田東海夫 20140410  えっ、福島県民の内部被ばくで1ミリシーベルトを超えたのが26人だけ?最大は3ミリシーベルト?目を疑う、河田東海夫(NUMOフェロー)のスライドです。このスライドは、福島への住民帰還を阻害しているのが、「1mSvの呪縛」だとして、「除染で1mSvはただちに達成できない」「1mSvに固執するべきではない」と説いている資料です。   政府事故調は、甲状腺等価線量 100ミリシーベルトに相当する、1万3000cpmをスクリーニング検査で出た福島県住民は901人いた、福島県が放射線医学総合研究所のアドバイスに従い引き上げた10万cpmを超えた福島県住民は102人いた、と政府事故調(中間報告 Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処)にあります。  以下、全文を紹介します。福島県民、最大3ミリシーベルトはデマです。  前双葉町町長 井戸川克隆氏からもご自身の被ばく体験を伺いました。2011年3月12日、東京第一原発1号機の爆発、井戸川克隆氏はそのがれきをかぶっています。彼は、同日夜、福島県立医大でホール・ボディー・カウンター(WBC)を受け、体内にヨウ素131が31万ベクレルあったことを確認しています。以下は、このヨウ素131の粒子口径が1.0マイクロメートルとしたとき、31万ベクレルは1000ミリシーベルトに相当する、という資料もあります。 『井戸川克隆氏 体内にヨウ素131 31万ベクレル。内部被ばくは1シーベルトか?』 政府事故調(中間報告)  Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処 より   pp.304~306  4 被ばくへの対応 (5)住民の被ばくへの対応について b 事故後のスクリーニングレベルの引上げ  オフサイトセンターの現地対策本部は、3 月12 日からスクリーニングレベルの設定に係る検討を開始し、現地対策本部は、3 月13 日午前、ERC に対し、40Bq/㎠又は6,000cpmという基準値について意見照会した。ERC は、安全委員会にコメントを要請し、安全委員会は、6,000cpm を1 万cpm80に修正すべきことに加え、1 万cpm を超えた者には安定ヨウ素剤を投与すべきことを記したコメントをERC に送付した。しかし、このコメントは、ERC から現地対策本部には伝わらず、若干の字句の修正を除き、現地対策本部意見のままでよいとするコメントが伝えられることとなった81。  現地対策本部長は、13 日14 時20 分、原災法第15 条第3 項の規定に基づき、福島県、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、楢葉町、広野町、葛尾村、南相馬市、川内村及び田村市の各首長に対し、当面のスクリーニングレベルを40Bq/㎠又は6,000cpm とすることを指示した。福島県は、「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」でスクリーニングレベルとして事前に定められていた値でもあった40Bq/㎠の基準を採用することとし、40Bq/㎠は1万3,000cpmに相当するとして、1 万3,000cpmをスクリーニングレベルとし、スクリーニングを開始した。3 月13 日に緊急被ばく医療派遣チームとして福島県を訪れた放射線医学の専門家ら82は、スクリーニングを担当する福島県地域医療課から、スクリーニング方法に関するアドバイスを求められた。同専門家らは、検討の結果、断水が続いていて除染に必要な水が不足していたこと、夜間の気温は氷点下であり、特に病人等を屋外で除染するのは危険であったこと、少ない職員で迅速に対応する必要があったことなどから、通常の方法でスクリーニング及び全身除染を実施することは困難と判断し、「福島バージョン」のスクリーニング及び全身除染の検討を行い、福島県地域医療課に提言した。その提言の一つとして、スクリーニングレベルを、IAEA の「放射線緊急事態の初期対応者へのマニュアル」が一般住民の体表面汚染に対するスクリーニングレベルとして定めていた1μSv/h(体表面から 80 1 万cpm は、安全委員会が40Bq/㎠相当として安全側に判断して採用している値である。81当委員会は、その原因についても調査したが、このコメントが安全委員会からERC にFAX 送信され、これを安全委員会事務局からERC に派遣されていた職員が受領したことまでは明らかとなったが、その後これを見た者がいないため、解明には至っていない。82福井大学、広島大学及び放医研から派遣を受けた。 10cm 離れた場所での線量率)に相当する8310 万cpmに引き上げるとの提言を行った。福島県は、前記の現地対策本部長の指示があるにもかかわらず、この提言を受け入れ、14 日以降、全身除染のスクリーニングレベルを10 万cpm とすることを決定した。なお、福島県立医科大学では、3 月12 日から、病院を訪れる患者に対して独自にスクリーニングを行っていたが、やはり水の不足等の理由から10万cpmをスクリーニングレベルとする運用を既に行っており、この点も、福島県がスクリーニングレベルを10 万cpm に上げる際に考慮された。  安全委員会は、14 日未明、ERC 医療班からの報告によって、福島県のスクリーニングレベル引上げの意向を知り、検討を行った結果、1 万3,000cpm が全て内部被ばくのヨウ素によるものとすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる等価線量100mSv に相当するとして84、同日4 時30 分、ERC に対し、「スクリーニングの基準値は、10 万cpm に上げず、現行のまま1 万3,000cpm に据え置いた方がよい。」との助言を行ったが、福島県は、なお10 万cpmを基準とする運用を続けた。  その後、安全委員会は、スクリーニング作業を実施している現地の意見を踏まえ、再度検討を行い、19 [...]

1巡目検査「甲状腺異常なし」 福島の子4人がん疑い 2014年12月24日東京朝刊

1巡目検査「甲状腺異常なし」 福島の子4人がん疑い 2014年12月24日東京新聞朝刊 2面  福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第一原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の一巡目の検査では、「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった二巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが関係者への取材で分かった。25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。  甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める。  1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。このため県立医大は、事故から3年目までの一巡目の結果を、放射線の影響がない現状把握のための基礎データとしてとらえ、二巡目でがんが増えるかなどを比較し、放射線の影響を調べる計画。  検査の対象は一巡目が事故当時18歳以下の約37万人で、二巡目は事故後一年間に生まれた子どもを加えた約38万5000人。それぞれ一次検査で超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形状などを調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定し、BとCが血液や細胞などを詳しく調べる二次検査を受ける。  関係者によると、今回判明したがんの疑いの4人は震災当時6~17歳の男女。一巡目の検査で2人が「A1」、残る2人も「A2」と判定され、「異常なし」とされていた。4人は、今年4月からの二巡目検査を受診し、一次検査で細胞などを調べた結果「がん疑い」と診断された。腫瘍の大きさは7~17.3ミリ。  4人のうち3人は、原発事故が起きた2011年3月11日から4カ月の外部被ばく線量が推定でき、最大2.1ミリシーベルトだった。4人はそれぞれ大熊町、福島市、伊達市、田村市に居住していた。

「セシウム・ボール」はホット・パーティクル(高放射能微粒子)NHK謎の放射性粒子を追え!(2014年12月21日放映)が隠した真実

[初稿]2014年12月29日 [追記]2019年10月15日 「セシウム・ボール」には不溶性のもの(主に2011年3月15日に放出)と水溶性のもの(主に2011年3月20~23日に放出)があることを追記。  NHKサイエンスZERO シリーズ原発事故⑬ 『謎の放射性粒子を追え!』(2014年12月21日放映)はひどい番組でした。この間、気象研究所 足立光司氏らのセシウム球の研究、東京理科大学 理学部 中井泉氏らのSpring-8を使った研究、筑波大学 数理物理科学研究科 末木啓介教授らの福島県郡山市、いわき市、浪江町、阿武隈高地での土壌中のセシウム球の研究をわずか30分の番組にコンパクトにまとめて放映しました。   しかし、この『謎の放射性粒子を追え!』では、なぜが中井泉氏らが発見した、ウランの存在について一切扱わず、「セシウム・ボール」という名称を繰り返していました。更に、この放射性粒子には、ウランはあったけれども、プルトニウムはなかったのでしょうか?そもそも、これをセシウム・ボールと命名するならば、これまで研究されてきたホット・パーティクルとどこが違うのでしょうか?シリーズ原発事故⑭に期待するしかないようです。 @動画さんのサイトで紹介されています。  NHK・サイエンスZERO <シリーズ 原発事故⑬> 「謎の放射性粒子を追え!」  〔1〕プロローグ  原発から放出された放射性セシウムはどのような形で環境中に運ばれて行ったのか? 当初は、鉱物粒子や硫酸塩などのエアロゾル(大気浮遊塵のこと)に付着して運ばれたのではないか、と考えられていました。 〔2〕気象研究所で40年間観測されてきた、大気浮遊塵(エアロゾル)  気象庁 気象研究所(茨城県つくばみらい市)では、空気を採取してエアロゾルを調べる研究を40年間やってきました。  原発事故当時のエアロゾルが付着したフィルターに放射性物質が捕捉されているのではないか。2011年3月14日ー3月15日の露場での500m3の空気中のエアロゾルを捕捉したフィルター(No.5-3)に、表面汚染を測定するサーベイメータ TGS-146を当ててみると、見る見るうちに545cpm前後を計測しました。  これは原発事故前と比べると、セシウム137で1000万倍の放射能。直径3.6cmのフィルターに4億個以上のエアロゾルが捕捉されていました。この中から放射性物質の粒子を見つけ出したい。 〔3〕IPと電子顕微鏡でセシウム球を発見  足立光司氏は、原発事故当時、アメリカの大学で電子顕微鏡を使った研究をしていました。気象研究所が電子顕微鏡の専門家を探していることを知り、2011年9月に帰国。IP(イメージングプレート)と電子顕微鏡を使って、セシウム球を発見しました。  IP(イメージングプレート)とは、放射線を感知する写真乾板のようなもので、エアロゾルが付着したフィルターに未着させ、数週間置くと、放射線を出している放射性物質の場所が黒く感光します。  以下は、WINEPブログ「キビタキの幼鳥の被爆像」2012-05-29 05:34から借用いたしました。   気象研究所 足立光司氏は、このIP(イメージングプレート)という手法を使い、エアロゾルのうち放射性物質の粒子のあるフィルターの部分を切り取り、スライドガラスに載せていき、また、IP(イメージングプレート)でその粒子の場所を確認、最後は顕微鏡を使いながら、マニュピレイターというミリメートル以下の作業ができる器具を使いながら、フィルターを裂いていき、エアロゾル粒子を取り出していきました。  1つ1つセシウムが含まれているかどうか、電子顕微鏡の元素分析機能を使って確認していきました。  研究を開始してから4ヶ月後、直径2.6マイクロメートル(μm)の丸い粒子が見つかりました。  成分分析をして見ると、Pb(鉛)、Cl(塩素)、Ca(カルシウム)、Zn(亜鉛)、Mn(マンガン)、Fe(鉄)とともにCs(セシウム)がありました。 放射性セシウムは重量の5.5%。この粒子は  セシウム球 2011年3月15日採取 直径2.6マイクロメートル    セシウム134 3.31ベクレル    セシウム137 3.27ベクレル と、6.58ベクレルもの放射能を持っていました。   〔4〕福島県浪江町で発見されたセシウム球  筑波大学数理物質科学研究科 末木啓介教授は、福島県 浪江町、郡山市、いわき市、阿武隈高地の土壌で、セシウム球の存在を調査し、浪江町の土壌から4個のセシウム球を見つけました。その直径は3~7マイクロメートル(μm)。  うち1つ、直径7マイクロメートル(μm)のセシウム球は     セシウム134 66ベクレル     セシウム137 66ベクレル ありました。 〔5〕 NHK・サイエンスZERO 「謎の放射性粒子を追え!」があえて放映しなかったこと、そして雑誌科学(2015年6月号 岩波書店)「大気浮遊塵試料からみつかった“セシウム・ボール”について」で青山道夫氏があえて書かなかったこと、それは、「セシウム・ボール」の中心にウランがあるということです。 ウランを含む原発事故由来のガラス状の大気粉塵がつくばにまで飛来 -放射光マイクロビームX線を用いた複合X線分析-  これは、この番組でも紹介している、東京理科大学 理学部 中井泉氏らのSpring-8を使った研究の中で、はっきりと書かれている事実です。だいたい、NHKや青山道夫氏らは「セシウム・ボール」と命名していますが、放射性セシウムは重量のたった5.5%。あとの重量94.5%は何なの?ということにまったく触れない番組でした。セシウムだけでなく、ウランやバリウムもその中心に存在していたことが、放射光マイクロ線蛍光分光分析法(μ-XRF)や放射光マイクロ蛍光X線吸収端近傍構造(μ-XANES)スペクトル分析で明らかにしていました。 放射光マイクロ線蛍光分光分析法(μ-XRF)での「セシウム・ボール」中のウランの存在 放射光マイクロ蛍光X線吸収端近傍構造(μ-XANES)スペクトル分析でのウランの存在の分析 原子のエネルギー準位と特性X線 主な元素の吸収端とスペクトルエネルギー値  まさしく、この2.6マイクロメートル(μm)の粒子は「セシウム・ボール」などではなく、ホット・パーティクル(高放射能微粒子)です。 〔6〕 NHK・サイエンスZERO 「謎の放射性粒子を追え!」の番組の最後でも、問題を小さく見せる報道をしました。それは、「セシウム・ボール」は水に溶けない、だから肺の中に入っても肺胞の中から血液に溶けだして、健康に影響を与えることは少ない、と言っていることです。  この2.6マイクロメートル(μm)の「セシウム・ボール」は2011年3月14日の2号機のメルトダウン、メルトスルーによって、放出された核燃料デブリの微粒子であると考えられます。東電の発表では、2011年3月15日0時00分に2号機のドライベントをしています。同年3月15日6時10分2号機の圧力抑制室が爆発しています。  この2.6マイクロメートル(μm)の「セシウム・ボール」は果たして水に溶けないのでしょうか。  気象研究所、五十嵐康人氏、足立光司氏らが国際原子力機関(IAEA)の2014年2月17~21日、ウィーンで行われた国際シンポジウム「International Experts’ Meeting on Radiation Protection after the Fukushima Daiichi Accident:Promoting Confidence and Understanding」では発表したした資料です。 <参考> CHARACTERISTICS OF SPHERICAL Cs-BEARING PARTICLES COLLECTED DURING THE EARLY STAGE OF FDNPP ACCIDENT 五十嵐康人 足立光司 梶野瑞王  財前祐二 IAEA 20140218 <参考> ホット・パーティクルが水および熱硝酸に抽出される割合 五十嵐康人 足立光司ほか 日本語 20140218  上記の五十嵐康人氏の資料のように、2011年3月15日9時~15時、15時~21時の「セシウム・ボール」は水への抽出率は、それぞれ5%、ー5%でした(図の2行目と3行目)。  2011年3月15日21時~3月16日9時の「セシウム・ボール」は水への抽出率は、63.8%でした(図の4行目)。この水への抽出率とは、たった1時間水に浸しただけで水に溶けだす割合ですから、非常に水に溶けやすいと言えます。  更に、2011年3月20日9時~21時、3月20日21時~3月21日9時、3月21日9時~3月22日9時の「セシウム・ボール」の水への抽出率は、それぞれ53.5%、60.1%、53.0%でした(図の4行目と7行目、8行目)。これらもまた、水に非常に溶けやすいと言えます。  更に、図表には「熱硝酸抽出率」が記載されており、これを見ると、2011年3月15日9時~15時、15時~21時の「セシウム・ボール」は熱硝酸への抽出率は、それぞれ82.0%、69.5%でした(図の2行目と3行目)。これらの「セシウム・ボール」が肺ではなく、口から食道、胃を通るとき、強い酸性の胃液によってかなりの割合の放射性セシウムが解け、腸管から吸収されることが推定されます。  「セシウム・ボール」は不溶性である、というNHKの番組の主張は間違いです。2011年3月15日9時~21時に気象研究所(茨城県つくば市)に到達した「セシウム・ボール」(正しくはウランを中心とするホット・パーティクル)は、水に対して不溶性のものが多かったのですが、特に2011年3月20日9時~3月22日9時につくば市に到達した「セシウム・ボール」は、水に非常に良く溶けるものだったのです。  これらの水溶性の「セシウム・ボール」および気体状の放射性物質が2011年3月20日~3月26日を中心とする、東京都金町浄水場でのヨウ素131やセシウム134.137の汚染を引き起こしたのだ、と考えられます。 <参考>東京電力福島第一原発事故当時の東京都金町浄水場での水道水中のヨウ素131およびセシウム134,137<参考>東京電力福島第一原発事故時の水道水中の放射性ヨウ素(131I)の濃度の推移 【単位】ベクレル/kg  岩手県盛岡市、秋田県秋田市、山形県山形市、茨城県ひたちなか市、栃木県宇都宮市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、千葉県市原市、東京都新宿区、神奈川県茅ケ崎市、新潟県新潟市、山梨県甲府市、静岡県静岡市<参考>東京電力福島第一原発事故時の水道水中の放射性セシウム(134Cs+137Cs)の濃度の推移 【単位】ベクレル/kg  岩手県盛岡市、秋田県秋田市、山形県山形市、茨城県ひたちなか市、栃木県宇都宮市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、千葉県市原市、東京都新宿区、神奈川県茅ケ崎市、新潟県新潟市、山梨県甲府市、静岡県静岡市  今も、東京電力福島第一原発では、1/2号機排気筒の解体工事が行われており、1号機ベントや2号機の圧力容器からの蒸気放出によって、排気筒内部に付着したホット・パーティクルが新たに環境中に放出されています。 <参考> 「2019年9月1日、東京電力が福島第一原発1/2号機排気筒(高さ120m)の最頂部の切断、撤去に成功。舞い散る放射能汚染は?(1)」内部被ばくを考える市民研究会 資料 2019年9月4日  <参考> 「2019年9月1日、東京電力が福島第一原発1/2号機排気筒(高さ120m)の最頂部の切断、撤去に成功。舞い散る放射能汚染は?(2)」内部被ばくを考える市民研究会 資料 2019年9月6日  <参考> 「東京電力福島第一原発1/2号機排気筒解体工事、第二部分。2019年9月18日~20日」内部被ばくを考える市民研究会 資料 2019年9月23日   東京電力福島第一原発事故によって環境中に放出された「セシウム・ボール」は、不溶性と水溶性の両方があり、両方ともの健康被害を考えなくてはいけないこと。また、この「セシウム・ボール」の中心部分にウラン(恐らくはプルトニウム)もあり、酸化ウランは非常に水に溶けやすいですから、不溶性の放射性物質と水溶性の放射性物質による内部被ばくの両方の健康被害を考えなくてはいけません。  「原発事故で放出されたのは不溶性のセシウム・ボール」という議論は、内部被ばくを過小評価するものであり、間違いです。                                  

1号機建屋カバー2枚を戻す。2014年12月4日。放射性物質が飛散したためか?

 東京電力は2014年12月5日。試験的に外していた1号機建屋カバー2枚を元に戻したと発表しました。1号機建屋カバーを本格的解体工事で撤去するのは、2015年3月に延期です。 1号機 建屋カバー解体に向けた飛散防止剤散布と調査の状況について 東京電力 20141201  1号機の原子炉建屋カバー屋根パネル2枚(北3,南3)の戻し作業については、12月4日午前8時31分に1枚目(北3)、同日午後0時9分に2枚目(南3)の戻し作業が終了。ダストモニタおよびモニタリングポストの指示値については、有意な変動は確認されていない。また、本作業に合わせ、10月28日に発生した、屋根パネル孔部(南2屋根パネルNo.36)の開口拡大について、南3屋根パネルに拡大した孔部を覆うためのはね出し部材を取り付け、南3屋根パネルを戻したことにより、拡大した孔部を上面から覆う処置を実施。  この1号機建屋カバーの試験的な撤去で、「ダストモニタおよびモニタリングポストの指示値で有意な放射線量の変動は観察されていない」と東電が言っていますが、12月5日東京新聞朝刊1面が海水のモニタリング問題で報道したように検出限界を高く引き上げた測定であり、ダストの調査としてはやっていないのに等しい測定です。  1号機建屋カバーの試験撤去に関するモニタリングで、有意な放射線量が検出され警報が発令されるレベルとは?ー1号機 建屋カバー解体に向けた飛散防止剤散布と調査の状況について 東京電力 20141201 より (1)敷地境界のモニタリングポスト(有意な変動:+2μSv/h以上の変動)(2-1)作業現場のダストモニタ[1号機] 警報設定値:5×10-3Bq/cm3)(2-2)3号機原子炉建屋のダストモニタ(警報設定値:5×10-3Bq/cm3)(3)建屋周辺のダストモニタ (警報設定値:1×10-4Bq/cm3)(4)構内のダストモニタ (警報設定値:1×10-4Bq/cm3)(5)敷地境界付近のダストモニタ(警報設定値:1×10-5Bq/cm3)  これは、敷地境界、例えばMP-1は2014年11月2日5時で、1.97マイクロシーベルト/時ありました。これが+2.0マイクロシーベルト/時、1.97+2.0=3.97マイクロシーベルト/時を超えたら、有意な変動だ、と発表されるということです。もともと1.97あるところが、急に3.97になるまで警報が鳴らないなんて、どういうことでしょうか?  (2-1)(2-2)(3)(4)(5)のそれぞれのダストモニタでの警報設定値の単位はベクレル/cm3ですから、私たちがよく目にするベクレル/m3に直すとこうなります。(1ベクレル/cm3=1,000,000ベクレル/m3) ■警報設定値■ ベクレル/m3に換算すると (2-1)作業現場のダストモニタ[1号機] と(2-2)3号機原子炉建屋のダストモニタ → 警報は5000ベクレル/m3 (3)建屋周辺のダストモニタ と (4)構内のダストモニタ → 警報は100ベクレル/m3 (5)敷地境界付近のダストモニタ →警報は10ベクレル/m3  1号機建屋カバーの作業現場は4999ベクレル/m3検出されても、警報が鳴らない、ということです。これは「不検出詐欺」と同じです。 1号機 建屋カバー解体に向けた飛散防止剤散布と調査の状況について 東京電力 20141201 福島第一 「不検出」実際は汚染 東電 誤解与える海水簡易分析 東京新聞 2014年12月5日朝刊    実は、2014年9月10日の東京電力の発表した、計画では、飛散防止剤を撒き試験的に2枚の建屋カバーを撤去した後、放射性物質の飛散の状況を確認したら、残りの4枚のパネルも外して、ガレキの調査、ガレキ・ダストの吸引の作業に入る予定でした。 1号機建屋カバー解体・ガレキ撤去に伴う放射性物質飛散抑制対策について 東京電力 20140910  それが12月5日に試験的に取り外した2枚の建屋カバーを戻したのは、この東京電力の資料によれば、 ダストの状況に問題が無ければ次のステップへ。ダスト飛散の可能性が大きい場合は、飛散防止剤の追加散布→状況が改善できない場合は、屋根パネルを元に戻します  p.1 1号機建屋カバー解体・ガレキ撤去に伴う放射性物質飛散抑制対策について 東京電力 20140910  つまり、飛散防止剤を事前に撒いてから建屋カバーを外したが、 「予想以上にダスト飛散が大きかった」ということではないでしょうか?だから、いったん、カバーを元に戻した、ということではないでしょうか?  10月28日午前8時23分、突風(瞬間風速18m/s)が吹き、飛散防止剤を注入していた先端ノズルが揺れて、カバーを約1m×約2m破く事故が起きました。 そのため、一時作業をこの日の中断し、翌日10月29日から作業を再開しました。  楢葉町上繁岡地区集会所の空間線量は、10月28日の11時すぎにはすとーんと下がり、その後上昇することはありませんでした。また、10月29日朝8時から空間線量率が8時~17時にかけて上昇しています。これは作業再開とぴったり一致します。作業で放射性物質が拡散していることは否定できません。ちなみに、楢葉町上繁岡地区集会所は、東京第一原発の南西13.4kmの地点にあります。  1号機建屋カバーの2枚が元に戻された12月4日前後の空間線量のグラフを見ようとしたところ、楢葉町上繁岡地区集会所の12月7日19:00から23:00までのデータ。12月8日すべてのデータ。12月9日0:00から11:00までのデータが原子力規制委員会のHPから消されていました。  お持ちの方がいましたら、お教え下さい。12月7日(日)~9日(火)午前までにこのモニタリングポストで何かが行われた可能性があります。 放射線モニタリング情報>全国及び福島県の空間線量測定結果 Top>福島:相双>大熊町モニタリングポスト>夫沢の測定結果>時系列データ>1週間分 http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/time.html  放射線モニタリング情報>全国及び福島県の空間線量測定結果 Top>福島:相双>楢葉町モニタリングポスト>上繁岡地区集会所の測定結果>時系列データ>1週間分 http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/time.html        

使用済み核燃料から取り出したプルトニウムなど超ウラン元素(TRU)廃液

 使用済み核燃料から取り出したプルトニウムは、肺がんを引き起こす放射性物質です。このプルトニウムを入れた廃液の入ったドラム缶が、アメリカ西部ニューメキシコ州カールズバッド郊外の核廃棄物地層処分試験施設(WIPP)で、プルトニウムなどの超ウラン元素(TRU)の廃液の入ったドラム缶が、2014年2月15日爆発しました。地表で作業をしていた、22人が内部被ばくをしました。                                        資料『「四国電力株式会社伊方発電所の原子炉の設置変更(1号、2号及び3号原子炉施設の変更)に係る安全性について(平成17 年7 月経済産業省)」の意見公募結果(原子炉安全専門審査会関連分)』によれば、  英仏の再処理工場で回収されたプルトニウムは単体で抽出されたものですから、母材はテイルウランが使用されましたが、四国電力が英仏に再処理を委託した使用済み燃料232tUから回収されるプルトニウムは約1.6tとされ、これをMOX燃料に加工すれば約39体となり、これは当機での装荷パターンでは約3回分にすぎません。(Pu富化度を9%-核分裂性Puの比率68%と仮定)大間原発の初装荷分(及び取替え燃料)は海外発注されるので、39体以下となることも考えられます。(東海再処理工場分は売却分に相当と仮定)すると伊方発電所で装荷されるMOX燃料の大半は、日本原燃の六ヶ所再処理事業所MOX燃料加工施設となるはずです。しかし再処理工場で抽出されるプルトニウムはウランとの混合抽出であり、Pu富化度を9%とすれば、回収ウランも9%含まれることになります。当然抽出MOX粉末には微量のFP、TRU、232U、236Uが含まれています。 資料『「四国電力株式会社伊方発電所の原子炉の設置変更(1号、2号及び3号原子炉施設の変更)に係る安全性について(平成17 年7 月経済産業省)」の意見公募結果(原子炉安全専門審査会関連分)』  1997年に茨城県東海村で、アスファルトで固化しようとして37人が被ばくする爆発事故を起こし、具体的な処分の方法や規制基準は決まっていない。ー毎日新聞 2014/11/27記者の目「核ごみ処分場建設急ぐ安倍政権」    

ストップ川内原発再稼働!1.25全国集会 at 鹿児島市天文館公園

みなさま  2014年11月7日、鹿児島県の臨時県議会で川内原発再稼働の推進陳情を採択し、知事も受け入れ表明しましたが、大多数の鹿児島県民は認めていません。  本日、高浜の審査書案が公表され、アリバイ的パブコメに入りましたが、同様に関西に暮らす大多数の方は、再稼働を認めていないと思います。  いかに、形を取りつくろうとも、許さない、という住民の意思で、原発を廃炉に向かわせなければなりません。  川内原発は、①設置変更許可申請はクリアしましたが、残る ②工事計画認可申請、?保安規定認可申請の段階で、①と②に多くの齟齬があり、12月第 2週に予定していた②の再再補正書も提出できないでいます。手を抜きたい九電に、さすがの規制委も目をつむれないといったところでしょうか。  これからの主要な交渉対象は、九電になります。福井地裁が認めた250kmはもちろん、国が避難計画策定を命じた最低30km圏内の住民、自治体 に、九電は、説明責任があり、同意を得なければなりません。  地震、火山、避難計画など、推進側の論理はぼろぼろで、再稼働どころではありません。  これからが正念場だということを明らかにする、全国集会を下記の通り、開催します。 ご多用のことと存じますが、万難を排してご参加ください。                           2014年12月18日 向原祥隆 ★スイッチは押させない★ ストップ川内原発再稼働! 1.25全国集会 ストップ川内原発再稼働!1.25全国集会 at 鹿児島市 20150125 2015年1月25日(日) 天文館公園 13:00〜14:30集会  14:30〜16:00デモ(天文館公園〜鹿児島中央駅) 主催 ストップ再稼働! 3.11鹿児島集会実行委員会(県内93団体) ——————————– ストップ再稼働! 3.11鹿児島集会実行委員会 事務局 向原祥隆 〒892-0873鹿児島市下田町292-1 TEL099-248-5455 FAX099-248-5457 info@nanpou.com ——————————–  

魚のストロンチウム90の測定をやめたのか?水産総合研究センター

 水産庁 水産総合研究センターが2011年4月6日から、水産物のストロンチウム90を測定し、公表しています。いや、測定、公表していました、と過去形で書くべきかもしれません。 水産総合研究センターによる水産物放射性物質調査結果 水産物ストロンチウム等調査結果  更新日:2014/5/28  この水産物ストロンチウム等調査結果は、非常にわかりにくいです。そもそも、魚を採取してから結果が公表されるまで2か月から4か月かかっています。中にはほぼ1年かかっているものがあります。ストロンチム90の測定に2~4週間かかるとは言え、これは明らかな公表の先送りです。  採取日から公表までにかかって日数も一覧表に加え、採取日順に一覧表にしました。  水産物からストロンチウム89、ストロンチウム90が検出された場合は青字で、プルトニウム238、プルトニウム239+240が検出された場合は赤字で表記しました(編集者)。     すると、とんでもないことがわかりました。2014年1月1日以降に採取されたデータが1つもないのです。今日はすでに11月12日。2013年、昨年の検査では短くて1か月と16日、長くても9か月と24日で、公表されていました。  水産総合研究センターは意図的に公表を遅らせているのでしょうか?それとも、2013年末で調査を打ち切ったのでしょうか?東京第一原発からはストロンチウム90汚染水がトレンチを通り、また、地下水として直接海に流れ込んでいます。  継続的な調査が行われるべきです。そして結果が判明した段階での早急な公表が求めらます。真実を明らかにすべきです。まさか、解散総選挙で自民党が圧勝した後に公表するのではないでしょう。それではあまりに党利党略、国家の私物化であると思います。  ちなみに、採取日が最後の水産物は、宮城県七ヶ浜地先のノリ、ストロンチウム90 0.07ベクレル/kgと同産地のワカメ、ストロンチウム90 0.06ベクレル/kgです(採取日2013年12月19日)。  これらは、どちらも過去の水産物の海藻類のストロンチウム90の最高値 0.056ベクレル/kgを超えるものです。(文部科学省科学技術・学術政策局原子力安全課防災環境対策室「放射性ストロンチウム分析法」2003年11月10日 pp.103)  まさか、ストロンチウム90の汚染が深刻化しているのを隠すために、測定を中断したのではないでしょうね。 〔初稿〕2014年11月12日 川根眞也 〔追記〕2014年11月20日 川根眞也     水産物ストロンチウム調査結果 20140528 環境試料中のストロンチウム90 濃度

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