内部被ばくについて、自主的に学習し、周りの方々に広めていくための会
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内部被ばくと健康被害

福島の子どもたちの小児甲状腺がん 先行検査115人、本格検査57人、計172人が発症 2016年6月6日 第23回福島県県民健康調査検討委員会発表

 2016年6月6日、第23回福島県県民健康調査検討委員会が開かれました。本来であれば、5月中に開くべきでした。G7サミット(2016年5月26~27日)とオバマ米大統領の広島訪問(2016年5月27日)の時期に、この事実がわかると不都合だと思ったのでしょうか?外国人記者が帰国した、10日後の6月6日に開かれました。  福島の子どもたちの小児甲状腺がんは、先行検査115人、本格検査57人、計172人となりました。  ここでは「甲状腺がん」と「がん疑い」とを区別せず、「甲状腺がん」と表現しています。福島県立医大の鈴木眞一氏は、甲状腺がんの手術を終えた子どものみを「甲状腺がん確定」とし、穿刺細胞診で悪性とされている子どもで、まだ手術を終えていない子どもを「がん疑い」としています。しかし、手術を終えた子どもたち132人のうち、誤診で良性結節だった子どもはたった1人しかいません。つまり、「がん疑い」と診断された子どもたちの99%以上が、甲状腺がんだったことによります。  川根はもし、原発から20km圏内や飯舘村などの高線量地帯だけでなく、福島市や郡山市、二本松市、本宮市、いわき市など、放射能プルームが通った地域の子どもたちを避難させていれば、これほどの多くの小児甲状腺がんは発症しなかったかもしれない、と考えています。日本政府、福島県と各自治体は、住民の健康を守ることよりも、住民をつなぎとめることを優先してしまいました。国、自治体の第一の役割は市民の命と財産を守ることではないでしょうか?それを放棄した罪は重く、子どもたちの健康は取り戻すことはできません。  鈴木眞一氏の説によれば、2014年度以降の本格検査で小児甲状腺がんは見つかる割合は10万人あたり、0.2人~0.3人のはずです。福島県が甲状腺検査の対象としている、0~18歳(2011年4月2日~2012年4月1日に生まれた子どもも含む)は38万1,286人ですから、福島県の子どもたち全員を検査しても小児甲状腺がんは年に0.76~1.14人しか見つからないはずです。つまり、年1人です。2014年度と2015年度の2年間の検査で、57名も小児甲状腺がんが見つかったことをどう説明するのでしょうか?  今朝の新聞各紙を読みましたが、残念ながら、この本格検査で見つかった小児甲状腺がんの異常な多さを指摘した記事は一つもありませんでした。 大新聞は172人の福島の子どもたちの小児甲状腺がんをなかったことにしようとしているのか?  以下の地域は明らかに、今後も小児甲状腺がんが多発する危険性のある地域です。初期のプルームによる、呼気被ばく(吸入摂取)、飲食や水よる被ばく(経口摂取)による内部被ばくに加えて、土壌に付着した土ぼこりの吸入摂取や経口摂取、放射能に汚染された食べ物や水を取ることによる経口摂取で、追加被ばくするからです。この地域の子ども、妊婦を始め、住民を避難させるべきです。学校は閉鎖するべきである、と考えます。  小児甲状腺がんの子どもたち、先行検査(2011年度、2012年度、2013年度)と本格検査(2014年度、2015年度)の発症人数です。2016年3月31日現在。特に本格検査の見つかった子どもたちが、先行検査と同数やそれに近い発症例のあるところ、本格検査で始めて小児甲状腺がんが見つかったところを赤字にしました。南相馬市、伊達市などは、先行検査の人数よりも本格検査の人数が多いことに注意するべきです。ここでは除染ではなく、住民避難が第一優先であるべきです。ことは緊急を要します。 市町村名     先行検査   本格検査    合計人数 川俣町         2       0       2 浪江町         2       2       4 南相馬市       2      4      6 伊達市        2      7      9 田村市         3       2       5 富岡町         1       0       1 川内村         1       0       1 大熊町         1       2       3 福島市         12       8       20 二本松市        5       1       6 本宮市         3       3       6 大玉村         2       0       2 郡山市         25       17       42 桑折町         0       1       1 白河市         6       1       7 西郷村         1       0       1 泉崎村         1       0       1 三春町         1       0       1 いわき市        24       4       28 須賀川市        4       1       5 相馬市         0       1       1 鏡石町         0       1       1 中島村         0       1       1 矢吹町         1       0       1 石川町         1       0       1 平田村         1       0       1 棚倉町         1       0       1 塙町          1       0       1 下郷町         1       0       1 猪苗代湖町       1       0       1 会津美里町       1       0       1 会津坂下町       1       0       1 会津若松市       7       1       8 湯川町         1       0       1 pdf 福島県 子どもたちの甲状腺超音波検査結果と穿刺細胞診 先行検査と本格検査の推移 20160606  福島県立医大は、これまで2011年度、2012年度、2013年度に行ってきた、子どもたちの甲状腺検査を「先行検査」と呼び、「原発事故2~3年で小児甲状腺がんは発症しない」という立場を取ってきました。2011~2013年度に見つかった、小児甲状腺がんの子どもたちは、スクリーニング効果にすぎない、といい続けてきました。のちのち見つかるかもしれない、甲状腺がんを前倒しで見つけているのにすぎない、と。  2014年度以降の検査を「本格検査」と呼び、ここで甲状腺がんの子どもたちが多発すれば原発事故による放射性物質の影響かもしれない、という見解を示してきました。  福島県全体で小児甲状腺がんを見ていくと、森を見て木を見ないものであり、本当のことが見えなくなります。各市町村ごとに発症を見ることが大切です。  また、福島県や県民健康調査検討委員会の座長の星北斗氏は、福島県の子どもたちの線量評価から「放射線の影響と考えにくい」との発言を繰り返しています。しかし、県民健康調査 基本調査 に掲載されている、線量推計結果はすべて、外部被ばく線量のみです。内部被ばくを一切考慮していません。  資料1 県民健康調査「基本調査」の実施状況について [PDFファイル/657KB]  しかも、年間被ばく線量ですらなく、たった4か月分の外部被ばく線量で実態を小さく見せようとしています。  放射線医学総合研究所が中心となって行っている、福島県住民の線量評価についても、外部被ばく+内部被ばくで評価しようとしていますが、内部被ばくについては食べ物と飲み物だけで評価しようとしています。まったく非科学的です。ウクライナ、べラルーシ、ロシアなどのチェルノブイリ原発事故での線量評価は、まず第一に甲状腺被ばくをサーベイメータで測った数値に基づくものであり、被ばく線量の決定的な要素は、呼気被ばくです。呼吸による内部被ばくを無視した、線量評価では、実態と比べると100倍を超える違いがあるでしょう。  資料7 東京電力福島第一原子力発電所事故における住民の線量評価に関する包括研究 [PDFファイル/2.48MB]  原発事故直後の2011年3月17日に、福島県立医科大学附属幼稚園の園児と職員の甲状腺の被ばく線量をサーベイメータで計測した、長崎大学 松田尚樹教授らのデータが存在するはずです。 事故直後の甲状腺被ばく実測値「ハードディスク故障」で不開示 おしどりポータルサイト 2015年3月24日   また、政府事故調 中間報告 pp.304~305によれば、「2011年3月12 日、福島県はスクリーニングを開始した。しかし、対象者は想定以上の規模となり、県内の要員だけでは人手が足りなかったため、福島県は、国や自治体、大学、電事連等の支援を得て、避難所や常設会場でスクリーニングを実施し、延べ人数で県内の人口の1 割を超える20 万人以上がスクリーニングを受けた。このうち、1 万3,000cpmから10 万cpmの線量が測定されて部分的な拭き取り除染の対象になったのは901 人」とあります。901人分の記録は残されていないのでしょうか?もし、甲状腺のサーベイを行っていたとしたら、それは原発事故当初の貴重な内部被ばく線量を評価するものとなります。  初期被ばくの生のデータを分析することでしか、内部被ばくの実相は見えてきません。政府や福島県はいいかげんな、外部被ばくのみでの線量評価や、食べ物と飲み水からだけの内部被ばく線量評価で、真実を隠蔽するのではなく、実際の内部被ばくの測定データに基づき、呼気被ばくを含めた被ばく線量評価を行うべきです。  また、初期被ばくの上に、追加被ばくを強制されている、子どもたち、妊婦をはじめ住民を避難させるべきです。

今も、東電 福島第一から放出されている、ヨウ素131。兵庫県(2016年)、千葉県(2015年)で確認。原子力規制委員会 上水(蛇口)のデータから

 現在でも東電 福島第一からヨウ素131が出ていることを確認しました。原子力規制委員会 上水(蛇口)の放射性物質検査で、2016年1-3月分の水道水から、兵庫県(神戸市)で0.00045ベクレル/kg出ています。 昨年2015年1-3月分の水道水からは、千葉県(市原市)のものからもヨウ素131 0.00046ベクレル/kg出ています。  「もう、原発からヨウ素131は出ていない」というのはうそです。  こ の上水(蛇口)は3か月分約60Lの水道水を集めて濃縮をかけて検査するものです。だいたい、10Lくらいの水道水が集まったら、水を蒸発させて 100cm3くらいに濃縮します。これを繰り返して、2Lくらいにして長時間ゲルマニウム半導体検出器で検査します。この0.00045とか 0.00046は、伊達や酔狂で出る数値ではありません。 2012 年から2016年6月2日公表までの、上水(蛇口)の検査結果を調べてみました。ヨウ素131が検出されたのは、上記、2015年1-3月分、2016年 1-3月分だけです。ヨウ素131の半減期から考えると、2015年3月と2016年3月にヨウ素131が含まれたプルームが放出された、と考えるべきだ と思います。  脱水汚泥のデータとはまったく違う価値を持っている、と思います。原子力規制委員会はただ、このヨウ素131のデータを垂れ流しにするだけでなく、原発で何が起こっているのか、説明するべきです。 『環境放射能水準調査結果(上水(蛇口))(平成28年1-3月分 ) 平成28年06月02日』http://radioactivity.nsr.go.jp/・・・/11062/24/194_20160602.pdf 『環境放射能水準調査結果(上水(蛇口))(平成27年1-3月分) 平成27年05月12日』http://radioactivity.nsr.go.jp/・・・/9766/24/194_20150512.pdf

トモダチ作戦 ロナルド・レーガン訴訟 「悲惨な被ばく状況知って」 被爆2世の日系人ジャーナリスト 東京新聞 2016年4月27日

 トモダチ作戦 ロナルド・レーガン訴訟 「悲惨な被ばく状況知って」 被爆2世の日系人ジャーナリスト                                   2016年4月27日 東京新聞 24面  東日本大震災のトモダチ作戦で、米空母「ロナルド・レーガン」の乗組員をはじめとする米海軍兵士たちが、福島第一原発事故で被ばくしたとして、東京電力と原発メーカーを訴えている損害賠償訴訟。この問題を当初から追い、兵士たちを支援する被爆2 世の日系人ジャーナリスト、エィミー・ツジモトさんは「日本人を助けようと奮闘した無名の兵士たちが、既に数人が死に追い込まれるといった悲惨な状況下に 置かれている現実を知ってもらいたい」と訴える。(佐藤大)  ロナルド・レーガンと第七艦隊の六隻は、トモダチ作戦の一環として急きょ、東北に向かった。津波に流された人たちの救出活動などを行ったが、原発事故による放射性物質の大量放出を知らされなかった。   兵士たちは二〇一一年三月十二日の福島沖到着から作戦終了までの間に被ばくしたとして、一二年十二月、サンディエゴの米連邦地裁で被害救済を求めて提訴し た。多くが、白血病や骨肉腫などの健康被害を訴え、これまでに五人が死亡し、帰港後に生まれた乗組員の一歳半の男児が死亡したという。原告は最初の八人か ら現在では三百八十七人に増えている。  東電は「健康被害が福島の事故と因果関係があるとは解明できない」と主張し、日本での裁判を求めているという。  ツジモトさんは、白血病や骨肉腫は放射性物質の摂取により引き起こされやすい病気で、高い放射線の値を示す当時の映像や資料が残っていることなどから因果関係は明らかだと反論する。「兵士たちは純粋な気持ちで日本人を救おうとしてくれたのに全く耳を貸さないというのは、トモダチ作戦を汚すような対応だ。多くは除隊を余儀なくされ、闘病生活を送っている。東電が主張する日本での裁判自体が、非人道的な冷たい仕打ちだ」   ツジモトさんは日系四世。医療関係の仕事に就いていた母親が一九四五年、広島で被爆している。母親は生前、被爆について語らなかったが、ツジモトさんは幼いころに寝たきりの時期があり、目や耳の不調、嚢胞(のうほう)に悩まされた。被爆の影響と確信している。大学卒業後、ジャーナリストとなり国際問題を論 じる一方、放射線被ばく、とりわけ若者に対する身体的影響について発信を続け、原発の怖さも訴えてきた。  福島の事故後は日本での講演活動 などを通じて、特に福島の子どもたちを被ばくから守るための活動を続ける。「被ばくで、遺伝子や細胞が破壊され、健康被害をもたらす現実。若い人たちが人生を切り開く大事な時期に、健康被害によってチャレンジの機を失ったりすることがないよう、適切な医療対策が必要だ」  事故から五年がすぎ、ややもすると事故が風化しつつある中で、「兵士たちの苦悩を少しでも知ることで、日本の人々が福島の惨状にあらためて目を向けてもらえるようつなげたい。放射線が子どもたちに与える影響の怖さを命ある限り伝え続けたい」と話す。  東電が拒否しているため本格的な審理は始まっていないが、米国で訴訟を進める意義を強調する。   「米国の裁判には『ディスカバリー(証拠開示手続き)』という制度があり、東電側は、事故当時の放射性物質の行方を『いつ、どこで、誰に報告したか』など を明らかにしなければならない。これは、米国の兵士のみならず福島の人々に対しても大きな意義をもたらす。被ばくしたと考えられる人々にとっても、健康被害との因果関係を立証する手だてとなるでしょう」  

チェルノブイリ原発事故後のウクライナ、ポルタヴァ州における小麦の放射能汚染の推移 セシウム137 ストロンチウム90

 チェルノブイリ原発事故後のウクライナ、ポルタヴァ州における小麦の放射能汚染の推移 セシウム137 ストロンチウム90 です。食品と暮らしの安全基金 小若順一氏から資料を提供していただきました。原発事故後に放出された、セシウム137、ストロンチウム90の環境中での移動について、メアリー・マイシオ著『チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌』(NHK出版、2007年)より、抜粋しました。  原発事故から5年。これからも食品の放射能汚染は深刻になります。単純に汚染は物理的半減期に従って下がるものではないことに注意しましょう。以下からpdfがダウンロードできます。 ウクライナ 小麦中のセシウム137とストロンチウム90の放射能濃度の推移  2016年5月10日、栃木県宇都宮市の小学校の学校給食で、放射能汚染タケノコが使用されました。栃木県の検査では、このタケノコの放射性物質の濃度は、270Bq/kg、173Bq/kg、128Bq/kg(大田原市産)でした。一方、本来使われるはずだった、宇都宮市産は10Bq/kgでした。 栃木県 たけのこの食品中放射性物質の基準値超過について  下野新聞がこの事件を詳しく報道しています。  かつての埼玉県さいたま市の学校給食まるごと放射能検査でも、5日分の保育園の給食から、2.13ベクレル/kgのセシウム134、セシウム137が検出されていました(大砂土保育園)。これは、今回の宇都宮市の学校給食のように、270ベクレル/kgの放射能汚染たけのこを35g分使った場合にも、2.36ベクレル/kgになります。さいたま市の学校給食でも、この放射能汚染タケノコのレベルの食材が使われていた可能性があります。早野龍五氏が提唱する、この学校給食まるごと放射能検査(陰膳法)は、汚染食材の特定をせず、「これくらい少ない放射能汚染だから安全」と、子どもたちに放射能を食べさせる、検査方法です。誤った放射線防護法であると思います。 [解説]   <さいたま市の学校給食の場合>上記資料より、大砂土保育園 2012年2月2日~2月8日 5日分の給食 4.131kgで、セシウム134とセシウム137の合計が2.13ベクレル/kg。 つまり、2.13×4.131=8.80ベクレルの放射性物質が混入していたことになります。  <宇都宮市の学校給食の場合>もし、これが1品目のタケノコで放射能汚染が270ベクレル/kgのもの、1人あたり35gを食材として使用しようしていた、とすると、以下のようになります。  270×35÷1000=9.45 ベクレル。 これが給食5日分の4.131kgに混入していたとすると、どれくらいの汚染度(ベクレル/kg)になるのでしょうか?  9.45÷4.131=2.29 ベクレル/kg つまり、大砂土保育園の学校給食のレベルとまったく同じです。さいたま市はこれは非常に小さな内部被ばくだから安全と解説しています。270ベクレル/kgを超えるタケノコのような食材が食べさせられたかもしれないのに。早野龍五氏が提唱する、この学校給食まるごと放射能検査(陰膳法)は、汚染食材の特定をせず、「これくらい少ない放射能汚染だから安全」と、子どもたちに放射能を食べさせる、検査方法です。誤った放射線防護法であると思います。        

東電 福島第一原発 1号機屋上がれき撤去作業始まる 2016年5月30日<追記>6月1日 高警報発生

 今日、2016年5月31日、みなさんののどの調子がいかがでしたか?急に寒くも、暑くもなっていないのに、突然咳込みませんでしたか?  今朝、職場に到着したときに、異常な空間放射線率を観測しました。職場室内でこれほどの数値は恐らく過去1年間くらいでないと思います。  Radex1503+ 0.17マイクロシーベルト/時 MKS-05 ベータ線 2cpm。(この後、3cpmまで上がりました。)撮影:2016年5月31日 8:11am 埼玉県さいたま市公立中学校 生徒昇降口玄関げた箱前にて。撮影:川根 眞也  そこで、今朝(2016年5月31日)の東京新聞を見たら、2面にこの記事が。 「細かい汚染がれき吸引 福島第一1号機上部に雑草 東京新聞 2016年5月31日 2面」  情報を伝えるのが遅い、と思いました。今日はちょっと蒸し暑いだけで、過ごしやすい天気。風を心地よいと感じた人も多いでしょう。しかし、東京、関東、いや風下では数1000kmまで、東電 福島第一の「PM2.5」を浴び、吸ってしまったのではないか?と危惧しています。  2016年5月30日および5月31日の作業は以下の通りです。たった2時間程度の作業でした。         2016年5月30日 7時59分~10時39分 作業時間 2時間40分         2016年5月31日 8時35分~10時49分 作業時間 2時間14分 参考:東京電力 1号機原子炉建屋カバー解体作業  廃炉プロジェクト > 実施作業と計画 > 燃料取り出し > 原子炉建屋カバー解体作業 > 作業実績 > 5月30日(月) をクリック 廃炉プロジェクト > 実施作業と計画 > 燃料取り出し > 原子炉建屋カバー解体作業 > 作業実績 > 5月31日(火) をクリック  もし、川根の仮説が正しければ、今日の咳は放射性物質のせいです。セシウム・ボールと呼ばれるもののせいかもしれません。 参考:『「セシウム・ボール」はホット・パーティクル(高放射能微粒子)NHK謎の放射性粒子を追え!(2014年12月21日放映)が隠した真実』内部被ばくを考える市民研究会 <追記 2016年6月6日>  2016年6月1日、東電は「福島第一原子力発電所敷地境界付近のダストモニタ1箇所における高警報の発生について」として、「本日(6月1日)午前7時54分頃、福島第一原子力発電所敷地北側境界付近のモニタリングポストNo.2(以下、MP2)近傍に設置しているダストモニタにおいて、ダスト放射能濃度の上昇を示す『高警報(警報設定値:1.0×10^-5Bq/cm3)』が発生しました」と発表しました。実は、この6月1日は当初の予定では、1号機建屋の小ガレキ吸引作業の3日目の予定でした。高警報発令のため、急遽この作業は中止されました。  5月27日発表の作業予定 2016年6月1日発表の作業実績  そして、この高警報の値たるや、すさまじい数値です。 東電発表は、ベクレル/cm3の単位ですが、これをベクレル/m3に直すと   7:54am  高警報     10.6ベクレル/m3  11:30am 高警報 14100  ベクレル/m3 です。 このMP-2付近に設置されていた、ダストモニタは「機器故障」として、予備品と交換されてしまいました。予備品の感度大丈夫なのでしょうか?  東京第一原発から北西4.2kmにある、双葉町 矢沢町集会所のモニタリングポスト(福島県設置)の一週間分の空間線量率のデータをグラフ化してみました。1号機建屋屋上の小ガレキ吸引作業に伴い、空間線量率がぐんぐん上がっていることがわかります。また、作業開始時刻から上がり作業終了後はだんだん下がっていくという現象も見られます。原子力規制委員会の「グラフを見る」をよく見ると、この2016年6月5日9:00am 8.016マイクロシーベルト/時や13:00pm 8.02マイクロシーベルト/時、17:00pm 8.015マイクロシーベルト/時は、この矢沢集会所のモニタリングポストで過去に記録された最高値(max)に近いことがわかります。  埼玉県さいたま市のJR大宮駅東口前でも、2016年6月5日 18:52pm、Radex1503+ で 0.18μSv/h、MKS-05 ベータ線 7cpm を計測しました。東京第一原発の1号機屋上の小ガレキ吸引作業に伴い、放射性物質が撒き散らされているのではないでしょうか。  核燃料デブリなど取り出そうとしないで、東京第一原発を石棺に閉じ込めて、放射性物質を撒き散らさないようにするべきだ、と思います。                                  

川内原発をただちに止めよ。もはや「想定外」は許されない。

 熊本県、大分県で被災されているみなさんに、心から連帯を表明します。  熊本、大分、食べて応援したいと思います。  九州から始まった、熊本地震は異常な地震活動を続けています。そもそも、震度7をたった21年の間に5回も経験する国が、世界のどこにあるのでしょうか?冷静に考えれば、4年か5年に1回、震度 7を経験する国です。この日本のどこに安全に原発を運転できる場所がある、というのでしょうか?  1995年1月17日 5:46 am 阪神・淡路大震災 震央 大阪湾 M 7.3 最大震度 7 震源の深さ 16 km  2004年11月7日 17:56 pm 新潟中越大震災 震央 新潟県中越地方 M 6.8 最大震度 7 震源の深さ 13 km  2011年3月11日 14:46 pm 東日本大震災 震央 三陸沖 M 9.0 最大震度 7 震源の深さ 24 km  2016年4月14日 21:26 pm 熊本県熊本地震 震央 熊本県熊本地方 M 6.5 最大震度 7 震源の深さ 11 km  2016年4月16日 1:25 am 熊本県熊本地震 震央 熊本県熊本地方 M 7.3 最大震度 7 震源の深さ 12 km  そして、東京電力 柏崎刈羽原子力発電所はこの新潟県中越地震(2004年11月7日)の余震ともいえる、3年後の2007年7月16日 10:13 amの新潟県上中越地震(震央 新潟県上中越地方 M6.8 最大震度 6強 震源の深さ 17km)で被災しています。その被災状況は以下の通りです。 東京電力㈱柏崎刈羽原子力発電所の被害の概要中越沖地震により、柏崎刈羽原子力発電所では、主に次のような被害が発生した。 ○地震発生時に起動操作中であった2号機及び通常運転中であった3・4・7号機において原子炉が自動停止(1・5・6号機は停止中)○3号機所内変圧器3Bにおける火災○1号機周辺の消火配管が破損し、屋外消火栓等の消火設備の機能が喪失○事務本館の緊急時対策室のドアが一時的に開放不能○6号機の原子炉建屋(非管理区域)への放射性物質を含む水の漏えい○1~7号機の原子炉建屋オペレーティングフロア(管理区域)における放射性物質を含む水の漏えい○7号機において主排気筒より放射性物質が検出○6号機原子炉建屋天井クレーン走行伝動用継手部の破損  これらのことは、九州地方の川内原発、玄海原発もこのような活断層の地震に見舞われ、放射性物質放出事故を起こす危険性を示唆しているのではないだろうか?そして、現在、日奈久断層帯、布田川断層帯、そして別府ー万年山断層帯で震度5弱以上の地震が多発しています。これらの断層帯は中央構造線に位置し、そこに愛媛県伊方原子力発電所もあります。運転していなくとも、伊方原発には使用済み核燃料の集合体が本920トンもあります。  2011年、2012年 東京電力 福島第一原子力発電所 4号機の使用済み核燃料プールが不安定な状況でした。4号機は「定期点検中で圧力容器の中に核燃料が入っていなかった」(東京電力発表)にも関わらず。爆発した1号機、3号機、2号機よりも深刻な事態にいたったのは、4号機の使用済み核燃料プールがひびが入り、傾き、安定的に冷やせなくなったからです。2011年3月25日、管直人首相の指示を受け、政府 原子力委員会の委員長 近藤俊介氏は、最悪の事態(1号機、2号機、3号機、4号機の使用済み核燃料プールのすべてが冷却機能停止、非常対応もできなくなり、核燃料すべてがメルトダウン)の場合、福島第一原発から半径250km圏内は移住すること認めなくてはいけなくなるだろう、とシュミレーションしています。  原子力委員会 委員長 近藤俊介氏は「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオ」(2011年3月25日)の中で、こう述べています。 「4号機プールに続いて、他の号機のプールにおいても燃料破損に続いてコアコンクリート相互作用が発生して大量の放射性物質の放出が始まる」 「この結果、強制移転をもとめるべき地域が170km以遠にも生じる可能性や、年間線量が自然放射線レベルを大幅に超えることをもって移転を希望する場合認めるべき地域が250km以遠にも発生することになる可能性がある。」  つまり、4機同時に使用済み核燃料プールがメルトダウンした場合は、東京まで含めて移転する危険性があった、とシュミレーションを提案したのです。                    

東電 福島第一原発3号機、2号機が大量の放射能を出しているのではないか?

 高崎CTBTが大気中の放射性物質をmBq/m3の単位まで計測し、公表ています。ところが、2015年11月19日発表の、2015年10月1日までのデータで更新が止まっています。本日2016年4月6日まで、早4ヶ月間更新が止まっています。何か「不都合な真実」でもあったのでしょうか?  考えられるのは、2015年10月に3号機は異常な放射性物質を出していたことです。  実は、その5ヶ月前、2015年5月に3号機は異常な放射性物質を出していました。東電発表によれば、福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋上部における空気中放射性物質の核種分析結果 原子炉上南西側②180Bq/m3 (通常は2.4~14Bq/m3 。2015年。) 試料採取日は2015年5月14日でした。  なんと、高崎CTBTは、2015年5月14日から5月15日のデータを飛ばす、という「工夫」をしています。理由は「装置等の不具合」です。果たして、装置が壊れていたからデータがなかったのでしょうか?  そして、2015年5月15日および5月16日は、東電 福島第一原発が日中、深夜にいきなり真っ白な霧で覆われた日でもあります。まずはこの動画からご覧ください。この日に放射性物質の大量放出があった危険性が大です。 2015.05.15_13.00-16.01.Unit4side2015年5月15日 15時12分15秒 4号機あたりから真っ白い煙で覆われる。16時までずっと全画面が真っ白に覆われる。https://www.youtube.com/watch?v=zlQxD3oTbVU 2015.05.15_21.00-00.01.Unit1side2015年5月15日 21時09分44秒 4号機あたりから真っ白い煙で覆われる。23時56分51秒あたりで消える。https://www.youtube.com/watch?v=Tf4PiaLkhw4 2015.05.16_01.00-04.00.Unit4side2015年5月16日 01時29分20秒 4号機あたりから真っ白い煙で覆われる。04時までずっと全画面が真っ白に覆われる。https://www.youtube.com/watch?v=G1J4m-m7pVo 東電 福島第一3号機の建屋上部の空気中の放射性物質の分析結果 2015年5月15日試料採取 原子炉上南西側② 180Bq/m3 (通常は2.4~14Bq/m3 。2015年。) 高崎CTBT、2015年5月14日から5月15日のデータを飛ばす。  これとまったく同じことが、2015年10月、12月、2016年1月に起きているのです。2015年10月は3号機、2015年12月と2016年1月は2号機です。  2015年10月9日 3号機建屋屋上 原子炉南西側で140 Bq/m3を観測しています。   また、2号機建屋排気フィルタ入口では、2015年12月17日に100 Bq/m3を観測しています。通常は0.87~39Bq/m3です。2015年。  ところが、今年2016年に入って、2016年1月7日には1000Bq/m3を観測しています。通常は0.87~39Bq/m3です。2015年。 あまりにも異常事態だったからでしょう。東電はこの1号機建屋上部、2号機建屋排気設備、3号機建屋上部の空気中の放射性物質の分析結果を、通常はたった月1回しか発表していませんが、2016年1月の2号機排気設備に限っては1月7日分と1月12日分の2回を公表しています。  高崎CTBTは昨年2015年5月15日のデータと同様に、2015年10月9日のデータ、2015年12月17日のデータ、2016年1月7日のデータを隠してしまうのでしょうか?高崎CTBT事務局は、国民の税金で運営されている機関です。東電 福島第一原発事故の現在進行形の放射能の大量放出を隠すことなく、事実を事実として公表すべきである、と考えます。                

東電 福島第一が放出したセシウム137は大気圏内核実験のピークの100倍。ストロンチウム90は100分の1。

 東電 福島第一が放出したセシウム137は大気圏内核実験のピークの100倍、ストロンチウム90は100分の1です。一年遅れでやっと公表された、第54回環境放射能調査研究成果論文抄録集(2011年度) 文部科学省 2013年3月のデータから。原発事故から早5年。文部科学省はいいかげん、第55回環境放射能調査研究成果論文抄録集を発表すべきではないでしょうか?それとも、安倍晋三氏が予算を打ち切ったのでしょうか?  2000年までのデータ。  1963年大気圏内核実験のピーク時。セシウム137の最高値 1900ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 700ベクレル/m2。  1986年チェルノブイリ原発事故時。セシウム137の最高値 135ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 1.8ベクレル/m2。  2012年までのデータ。  2011年東電 福島第一原発事故の年。2011年3月。セシウム137の最高値 2万3100ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 5.16ベクレル/m2。  東京大学、早野龍五氏などは、「日本人は大気圏内核実験の際、ストロンチウム90やセシウム137を食べてきたのだから、福島の原発事故の影響などたいしたことはない。」と言い切ります。  でたらめです。大気圏内核実験の100倍のセシウムを摂取していて、大丈夫と言う、御用学者の妄言にすぎません。セシウム137の2万3100ベクレル/m2の摂取に対して、ストロンチウム90は大気圏内核実験のときの100分の1です。果たして、このストロンチウム90、大気圏内核実験のピーク時の100分の1は、安全なのでしょうか?しかし、5.16ベクレル/m2のストロンチウム90は、チェルノブイリ原発事故の約2.8倍です。チェルノブイリ時の日本における、白血病の2.8倍は出ておかしくということになります。ちなみに、チェルノブイリ原発事故6年目に日本における小児甲状腺がんのピーク、東海村JCO臨界事故の5年後に日本の小児甲状腺がんのピークがあります。微量な放射性物質でも危険、ということを象徴しているのではないでしょうか?   チェルノブイリ原発事故後、日本でも子どもたちの小児甲状腺がんが増えました。広島の武市宣雄医師らが、日臨外医会誌に「若年性甲状腺癌の臨床的検討」という論文を書いています(1997年)。 福島県だけではない、日本全国で発症する小児甲状腺がん (編集) 投稿日:2014.06.24 | カテゴリー:内部被ばくと健康被害, 資料 ブログ Fiddledadのblogさんから、東京第一原発事故以前の日本の小児甲状腺がんに関する重要な論文を2つ紹介していただきまし た。その論文の内容と、野呂美加さんが作られた、1975年~2008年までの日本の小児甲状腺がんの発症人数(日本全国)の推移のグラフとを紹介しま す。  日本でも1992年(チェルノブイリ原発事故から6年後)をピークとする小児甲状腺がんの発症が、旧ソ連のチェルノブイリ原発から放出されたヨウ素131などの放射性ヨウ素が原因だとすると、今後、小児甲状腺がんは何も福島県だけに限定されるものではなく、日本全国で発症する危険性があります。ウクライナの首都キエフから日本の東京までは、8200km離れています。呼吸で吸い込んだ放射能プルームの濃さが問題なのではなく、原発から放出された放射能プルームを吸ったか、吸わなかったかに問題だと考えられます。放射性物質は微量でも危険なのです。  広島の武市宣雄医師他が日本臨床外科医学会雑誌(1997年)に「若年者甲状腺癌の臨床的検討」という論文を書いています。 若年者甲状腺癌の臨床的検討 杉田圭三 武市宣雄他 日臨外医会誌 58(3)1997  この論文によれば、広島大学第2外科では、1973年から1995年の過去23年間に10例の若年甲状腺癌を経験した、とあります。その10例とは ※ 23年間で若年者甲状腺がんの症例10例-川根が作成。 1973年-1977年(4年間) 2例1977年-1981年(4年間) 2例1982年-1986年(4年間) 0例 チェルノブイリ原発事故(1986年)までの4年間1987年-1991年(4年間) 5例 チェルノブイリ原発事故から1年後~5年後の4年間1992年-1995年(3年間)               不明1例  「甲状腺がんの発生要因として、頸部へのX線照射が問題とされ、20歳未満の甲状腺がん患者の20%にX線照射の既往があったとの報告も見られる。  Frankenthaler RA, Sellin RV, Cangir A, et al: Lymph node metastasis from papillary follicular thyroid carcinoma in young patients. Am J Surg 160: 341-343, 1990  当科の症例では、全例、両親の被ばく、X線照射と無関係であった」、とあります。 また、 「小児甲状腺がんの特徴として、(1)男児の比率が成人に比べ高い。男女比は1:1.5~2.6と報告されている。(2)初診時、頸部リンパ節転移、肺転移を起こしている症例が多い。(3)進行度の割に予後良好であることが多い。(4)肺転移に対してヨウ素131治療の有効例が多い。などが報告されている。 症例1は気管、反回神経に湿潤し、多発性肺転移を起こした進行がんであり、これらの特徴を備えている。  小児甲状腺がんの場合、発症機転として結核、気管支喘息様の症状で見つかることがあり、注意が必要とされる。」 と書かれています。  また、奈良県立歯科大学耳鼻咽喉科の清水直樹医師は、日本小児耳鼻咽喉科学会の会誌(2008年)に「当科における小児甲状腺癌の検討」という論文を書いています。 当科における小児甲状腺癌の検討 清水直樹 他 奈良県立歯科大学耳鼻咽喉科 2008  この中で、「奈良県立医科大学耳鼻咽喉科では1990年から2006年の過去17年間に7例の小児甲状腺がんを経験した。」「性別は男性3例、女性4例で、年齢は8~16歳、平均年齢は11.6歳であった。病理組織型は、乳頭がん6例、濾胞がん1例と、成人同様乳頭がんが多く認められた。」と述べています。また、「頸部リンパ節転移は全例に認められ、T4の3症例(8歳の女の子、8歳の男の子、12歳の男の子)はすべて肺転移を認めた。」とも書かれています。「小児・若年性甲状腺がんの特徴としては、死亡率は低いが、再発が多いことがあげられる(野口志郎:小児甲状腺癌の特徴.内分泌外科,17:247-250,2000)。症例1(8歳の女の子)は術後3年目に肺転移、症例4(12歳の女の子)は術後2年後にリンパ節再発を認めている。これらの結果からは、局所再発や遠隔転移に対する対策が治療上重要であると考えられる。」とも。 表1 小児甲状腺がん症例症例 年齢 性 触診所見 病理診断 病床病期  経過年数   その他   診断年月1     8  女 びまん性 濾胞がん T4N1bM1 15年10カ月  肺転移  1991.5チェ事故5年1カ月2     8  男 びまん性 乳頭がん T4N1bM1  1年 9カ月   肺転移  2005.6チェ事故9年2カ月3    12  男 びまん性 乳頭がん T4N1bM1   転院   肺転移   不明4    12  女 結節性  乳頭がん T3N1bM0  6年 5カ月  リンパ節再発                                      1990.1チェ事故4年6カ月 5    12  女 結節性  乳頭がん T1N1bM0  1年 8カ月          2005 . 7チェ事故 9年3カ月 6    13  男 結節性  乳頭がん T3N1bM0 10年 9カ月           1996 . 6チェ事故10年2カ月7    16  女 結節性  乳頭がん T2N1bM0 16年 5カ月         1990.10チェ事故4年6カ月 ※ 診断年月は川根が経過年数から計算した。この論文の発表年が2008年。経過年数は2007年3月までと判断して、診断年月を計算した。<凡例> 症例1  2007年3月-15年10カ月=1991年5月 チェルノブイリ事故から5年1カ月経過  まとめると、以下のようになります(川根)。 1990ー1993年の4年間 診断症例 3例(チェルノブイリ原発事故から4年~7年後) 1994ー1997年の4年間 診断症例 1例(チェルノブイリ原発事故から8年~11年後) 1998ー2001年の4年間 診断症例 0例(チェルノブイリ原発事故から12年~15年後) 2002ー2006年の5年間 診断症例 2例(チェルノブイリ原発事故から16年~21年後) 不明 1例 ※ チェルノブイリ事故当時の年齢 3歳、3歳、3歳、7歳、11歳、産まれていない、不明。  国立がん情報センターの統計から小児甲状腺がん(0-19歳)の罹患について抜き出し、年ごとの罹患者数、および10万人あたりの罹患率を川根が整理しました。Excelデータです。 甲状腺がん 全国がん罹患数・率 推定値1975 2011年 国立がん研究センターがん情報サービス                        

「甲状腺がんは、原発のせいだ」韓国 イ・ジンソプ裁判釜山判決 2014年10月17日

原発周辺地域の甲状腺がん被害者共同訴訟原告募集開始(プレスリリース)   Posted on 2014/10/28 by nnaakadmin   【出典】No Nukes Asia Actions – Korea NNAA-K(준) – 탈핵을 위한 국제공동행동을 만들어 내자! 정보의 공유화를!   【編集】川根 眞也    原発周辺地域の甲状腺がん被害者共同訴訟原告募集開始(プレスリリース)    去る2014年10月17日、古里(コリ)原発周辺地域10キロ内に20年間住んでいた住民の甲状腺がんの発症に対する責任がコリ原発にあるという1審の判決があった。これは、国内で最初に癌の発生に対する原発の責任を認めた判決として、原発事故が発生してなくとも、放射性物質を放出する原発が健康に危害を与える施設であるという事実を法的に認めた判決である。 原子力発電所は、日常的に気体​​放射性物質と液体放射性物質が排出される。気体放射性物質はフィルターを通してはいるが、それに引っかからない三重水素 と貴ガス(ノーブルガス)(アルゴン(Ar)、クリプトン(Kr)、キセノン(Xe)など)は、そのまま環境に放出され、液体の放射性物質は、リットル当たり50ベ クレル(1秒に一度核崩壊する放射性物質の放射能の強さ)の濃度以下で海水で希釈して、温排水と一緒に海に流す。放射性物質の放出基準が別に用意されてい るが、原発周辺地域の制限区域を基準に、年間線量基準で管理している。制限区域は、軽水炉の場合700m、重水炉の場合914mに設定して、甲状腺等価線量では年間0.75ミリシーベルトであり、有効線量では年間0.25ミリシーベルトの基準を適用して、この基準以下と評価できる放射性物質を放出してい る。 しかし、法的基準値内の放射線量であっても、原発周辺に放出される放射性物質による住民の被ばくは、原発周辺地域の住民のがん発生を増加させてきたことが 確認された。ソウル大学医学研究院原子力影響・疫学研究所が2011年に教育科学技術部の依頼で提出した「原子力従事者と周辺地域住民の疫学調査研究」によると、原発周辺地域(5キロ内)住民のがん発生が対照地域に比べ、全体的に増加したが、特に女性の甲状腺がんの場合、統計的に有意に対照地域に比べ、 2.5倍ほど増加したことが確認された。この報告書は、全体の20年の追跡調査の中で、最近10年間に研究対象者の約60〜70%が集められ、その過程で、既存の癌患者がみな排除されることで、起こりうる癌の発生に関するデータが縮小される可能性があり、これを補完するなら、原発によるがん発生の相関関係はさらに増加するものと予想される。   原発による甲状腺がん発症の責任に対する裁判所の判決文には「加害企業がある有害な原因物質を排出し、それが被害者に到達して損害が発生した場合、加害者側ではそれが無害であることを証明できない限り、責任を免れることはできないと見るのが、社会公正の概念に適している」という最高裁判所の判例を挙げ、例えがんの発生が法的基準値以下の放射性物質の放出によるものであっても、法的責任があるという判断をした。これまで原発周辺地域でのがん発症により苦しんできた住民が原発に責任を問う道が開かれたということだ。 ここに、私達は被害者の共同訴訟を通して、原発の癌発生の責任を問う計画だ。   <原発周辺地域の甲状腺がん被害者の共同訴訟原告募集> *原告資格:各原発の放射能緊急計画区域(8〜10キロ)内に3年以上居住したことのある甲状腺がん発症者 *原告申請期間:1次2014年11月30日 *必要書類:訴訟委任約定書、住民登録抄本(変動事項含む)、家族関係証明書、診断書 *費用:印紙代、送達量(ただし、勝訴時、費用は弁護士と協議のうえ決定) *申請 コリ原発 – 釜山環境運動連合、キジャン社会福祉生活相談所 ウォルソン原発 – キョンジュ環境運動連合 ハヌル原発 – 核から安全に住みたいと願うウルチンの人々 ハンビッ原発 – ヨングァン原子力発電所の安全性確保のための共同行動 ソウル – 環境運動連合     2014年10月23日     キョンジュ環境運動連合、プサン環境運動連合、ソウル大学保健大学院職業環境健康研究所、ヨングァン原子力発電所の安全性確保のための共同行動、核から安全に住みたいと願うウルチンの人々、核なき世界のための医師会、環境保健市民センター、環境運動連合        別のブログから全文引用。   【出典】OCHLOS(オクロス) 韓国の原発裁判で勝利したイ・ジンソプさんの資料  2015年1月5日月曜日   【編集】川根 眞也   イ・ジンソプ裁判準備書面(2014年9月12日)   1.被告の主張要旨      被告は、①この事件発電所(古里原子力発電所)運営のために発生した放射線量は、原子力安全法令及び関連通知で規定された法的限度値を十分に下回っており、原発の運転中に、原発周辺住民の健康に影響を与えるほどの放射能などの有害物質を排出さしたことはなく、②原告らの居住地は、この事件発電所運営による放射能の影響が全くない地域なので、原告らの損害賠償責任は認められないと主張している。   2.原告のパク・クムソンの甲状腺がん発症と放射線排出の間の因果関係  イ.この事件発電所(古里原子力発電所)の放射線排出   被告は、2012年9月4日に提出した答弁書で「この事件発電所(古里原子力発電所)周辺地域住民の年間被ばく線量」に関する表を提示し、この事件発電所周辺地域の住民が微々たる水準ではあるが、原告住民が放射線に被曝された事実を自認した(9月4日の弁論時)。また、「原発従事者および周辺地域住民の疫学調査研究」という論文42ページによると、以下のように原告住民が放射線に被曝した事実が確認される。   図:地域別、年度別の住民の被ばく線量(全身)分布(単位:mSv/ 年) 地域     年度 古里(コリ) 月城(ウォルソン) 霊光(ヨングァン) 現 ハンビッ 蔚珍(ウルチン) [...]

朝日新聞「放射線の影響 見極める」の犯罪(2) 小児甲状腺がん チェルノブイリと福島は違う、は本当か? 2016年3月9日18面

                                 初稿 2016年3月14日記 川根 眞也                                  加筆・修正 2016年8月18日記 川根 眞也  朝日新聞は、2016年3月9日18面に「放射線の影響 見極める」の特集を組みました。そこで、福島の小児甲状腺がん「地域差見られず」と書きました。そして、10万人あたり30人を超える小児甲状腺がんの発症率を、「チェルノブイリでは、本来、甲状腺がんがほとんでできないはずの5歳以下の乳幼児に多発した。」「一方、福島県でこれまでにがんと診断された計116人に事故当時5歳以下の乳幼児はいない。」と、原発事故の影響ではない、という福島県 県民健康調査検討委員会の見解を垂れ流ししています。  果たしてそうでしょうか。山下俊一氏が、2000年に「チェルノブイリ原発事故後の健康問題 被ばく体験を踏まえたわが国の役割 唯一の原子爆弾被災以下大学からの国際被ばく者医療協力 山下俊一 2000年2月29日」の論文の中で、ベラルーシ共和国ゴメリ州の小児甲状腺がんの原発事故当時の年齢別診断数を公表しています。  この表の縦軸は小児甲状腺がんと診断された年を表しています。横軸は、それぞれの子どもたちが原発事故当時、何歳であったかを示しています。たとえば、 1985年 1人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で16歳) 1986年 1人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で13歳) 1987年 4人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で11歳、12歳、14歳、16歳それぞれ1人) ※ 原発事故2年目の1987年の時点で、ベラルーシ共和国ゴメリ州での小児甲状腺がんの患者は急増しています。この時点で、山下俊一氏はゴメリ州に入っていません。甲状腺の結節を見つける、超音波検査機はベラルーシ国全域で1台ほど。18歳未満全員のスクリーニングなど行っていません。ベラルーシに医師たちが自らの手で触診を行い、穿刺細胞診を行い、甲状腺がんであると診断したのです。ベラルーシの医師たちは原発事故の2年目から、「原発事故2年後から小児甲状腺がんが増えている」と指摘し、問題視していました。日本の医師は一体何をやっているのでしょうか。 1988年 3人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で7歳、8歳、17歳それぞれ1人) 1989年 5人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で1歳、5歳、14歳、15歳、16歳それぞれ1人) ※ 福島県県民健康調査検討委員会に、福島県立医大放射線医学県民健康管理センターの甲状腺検査責任者として出席して報告してきた、鈴木眞一教授(2015年5月18日甲状腺検査責任者を退任)も、また、2016年3月9日の朝日新聞 大岩ゆり氏の記事でも、「チェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺がんのほとんどが原発事故当時0~5歳の子どもたち。福島で見つかっている小児甲状腺がんの子どもたちの原発事故当時の平均年齢は17歳。だから、今回の福島で見つかっている小児甲状腺がんは原発事故の放射線によるものではない。」と言っています。果たしてそうでしょうか?  上記1989年(チェルノブイリ原発事故4年目)で始めて原発事故当時1歳や5歳だった子どもが小児甲状腺がんと診断されています。 1990年 15人(チェルノブイリ原発事故のあった1986年4月26日時点で0歳2人、1歳2人、3歳1人、4歳4人、5歳1人、6歳2人、8歳2人、13歳1人) ※ 1990年は原発事故5年目にあたります。日本では昨年2016年に相当する年になります。チェルノブイリ原発事故5年目にあたる1990年の小児甲状腺がんは、1985年の「1人」の15倍ということになります。また、原発事故当時0~5歳の子どもたちの発症が0歳2人、1歳2人、3歳1人、4歳4人、5歳1人、と合計10人と、実に全体の67%を占めています。そして、原発事故5年目にして、当時5歳以下の子どもで始めて小児甲状腺がんの子どもが見つかったことに注意すべきです。福島でも同じことが起きているのではないでしょうか。 ※ 1990年 チェルノブイリの国ではこの年に15人もの子どもたちの小児甲状腺がんが見つかり、大騒ぎになっていました。一方、日本の医師は何をしているのでしょうか?2016年6月6日に福島県だけで172人もの小児甲状腺がんの子どもたちが見つかっているのに。注意するべきなのは、チェルノブイリ原発事故から5年後の小児甲状腺がん15人のうち、実に3分の2の10人が6歳未満であるということです。次回の福島県の県民健康調査検討委員会は2016年9月にも開かれるでしょうが、チェルノブイリと同じ経過を辿るのではないか、と危惧されます。新たに見つかった小児甲状腺がんの子どもたちの、原発事故当時の年齢が半数が0~5歳(6歳未満)になるのではないか、と。  果たして、東電福島第一原発事故から5年目の今年、日本で一体、何が起こるのでしょうか?  この小児甲状腺がんと診断された年次別の子どもたちの人数を原発事故4年後まで、5年後まで、6年後まで、10年後まで、この山下論文で公表されている13年後までの累計をグラフにしました。  それぞれ「小児甲状腺がんと診断された年次」と「原発事故当時の年齢」で考えています。  現時点で福島県の小児甲状腺がんの子どもたちの累計はちょうど、チェルノブイリ原発事故4年後までとそっくりではないでしょうか。原発事故4年目の1989年まではチェルノブイリでは16歳にピークがあり、東電福島第一原発事故では17歳にピークがあります。  5年後から原発事故当時0~4歳の子どもたちの小児甲状腺がんが多発しているのです。累計をご覧ください。  福島でも、今年2016年から、原発事故当時0~4歳の子どもたちが小児甲状腺がんを発症し始める危険性があります。  福島県だけではなく、茨城県、宮城県、岩手県、山形県、栃木県、群馬県、千葉県、埼玉県、千葉県、神奈川県、静岡県など放射能のプルームが強く通った地域では、子どもも大人も甲状腺検査、血液検査、心電図検査が必要だと考えます。  朝日新聞の記事から <4年後まで>ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん 1985年から1989年チェルノブイリ原発事故4年後までの累計 山下俊一氏の研究に基づく <5年後まで>ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん 1985年から1990年チェルノブイリ原発事故5年後までの累計 山下俊一氏の研究に基づく <5年後まで>ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん 1985年から1991年チェルノブイリ原発事故6年後までの累計 山下俊一氏の研究に基づく <10年後まで>ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん 1985年から1995年チェルノブイリ原発事故10年後までの累計 山下俊一氏の研究に基づく <13年後まで>ベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺がん 1985年から1998年チェルノブイリ原発事故13年後までの累計 450人 山下俊一氏の研究に基づく  福島県だけでなく、茨城県や岩手県など東北・関東一円に放射能プルームが通過しました。このプルームが通過したとき、屋外にいた人々は雨には濡れないように。家に帰ったら、シャワーは浴びよう。以下の動画が参考になります。放射能プルームの拡散のようすです。 ヨウ素131の沈着積算量シミュレーション(3月12日から3月23日)国立環境研究所 [初稿]2016年3月14日 記 川根眞也 [加筆・修正]2016年3月15日 記 川根眞也                        

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