内部被ばくについて、自主的に学習し、周りの方々に広めていくための会
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内部被ばくと健康被害

福島第一原発 放射性物質 放出量が前年比2倍に NHK 2019年3月8日

福島第一原発 放射性物質 放出量が前年比2倍に  NHK 2019年3月8日 福島第一原子力発電所から放出されている放射性物質の量についてNHKがまとめたところ、ことし1月までの1年間の放出量が推計で、前の年と比べて2倍近くになっていることがわかりました。放出量は基準値を大きく下回っているものの、東京電力は廃炉作業によって一時的に増えたのが原因ではないかとしています。 東京電力は8年前の原発事故のあと、1号機から4号機の原子炉建屋から放出されている放射性物質の量について、現在は「対策を講じているので大幅に減ってきている」と説明しています。 NHKでは、東京電力の公表資料を基に計算したところ、いずれも推計で、去年1月までの1年間の放出量は4億7100万ベクレルほどだったのに対し、ことし1月までの1年間の放出量は9億3300万ベクレルほどに上り、2倍近くになっていることがわかりました。 これについて東京電力は、1号機のがれきの撤去作業や、2号機の原子炉建屋の放射線量を測る調査にともなう作業での際、放射性物質を含むちりが舞ったからではないかとしています。 ただ、1時間当たりの放出量は国の基準を基に東京電力が厳しく定めたレベルを大きく下回っているということで、東京電力は「8年間の大きなトレンドでは減少傾向だが、廃炉作業によって一時的に増えたのが原因とみられる。放射性物質が広がらないよう対策を講じたい」としています。 [解説]  廃炉作業とは何か?2018年に行われていた作業でもっとも注目すべきは2号機建屋に穴を開け、建屋の最上階部分に横に新たな部屋を作ったことです。これは2号機建屋5階部分にある、使用済み核燃料プールからの使用済み核燃料を取り出すため、としています。東電は4号機の使用済み核燃料プールからの使用済み核燃料は2014年12月に終えた、としています。しかし、1号機~3号機は建屋内が非常に高線量であるため、これまら屋上の放射能がれきの撤去を中心に行っていました。  しかし、2018年4月から、2号機の使用済み核燃料取り出しのために準備を開始しました。2018年4月16日、2号機建屋5階部分の西側壁に試作孔を開けました。この時にも大量の放射性物質が建屋内から環境中に放出されています。 2号機、4月から本格調査 第一原発使用済み燃料 1~3号機取り出し工程固まる  福島民報 2018年3月30日  東京電力は福島第一原発2号機原子炉建屋の使用済み核燃料プール内にある核燃料615体の取り出しに向け、詳細な工程を決めた。2018年4月から高線量の5階部分の調査に入り、把握したデータに基づき2020年度にも建屋上部を全面解体し、2023年度ごろの取り出し開始につなげる。 2号機の具体的な作業工程が固まったことで、使用済み核燃料が残る1~3号機全ての取り出し作業が本格化する。 ただ、2号機建屋は極めて線量が高く、工程通りに作業が進むかは不透明だ。 東電が2018年3月29日の記者会見で発表した。計画では2018年4月から原子炉建屋5階部分にあるオペレーティングフロア西側のコンクリート製壁面(厚さ約20センチ)に縦約7メートル、横約5メートルの穴を開ける。2018年6月から2台の遠隔操作ロボットを投入して画像を撮影する他、空間放射線量や内壁の汚染濃度などを測定する。すでに設置してある箱形の前室(縦約17メートル、横約23メートル、高さ約10メートル)で開口部からの放射性物質漏えいを防ぐ。前室内部に空気循環装置を設置し粉じんの外部飛散を抑える。2020年度までに建屋内部の情報を収集し、上部の解体作業に入る計画。データに基づき建屋上部へのカバー設置など、使用済み核燃料の取り出しに向けた適切な手法を決めるとしている。  2号機は原発事故発生時に水素爆発は免れたが、2012(平成24)年に原子炉格納容器の真上に当たる建屋5階で毎時880ミリシーベルトの放射線量が計測された。現在も高線量の状況が続いているとみられ、これまで詳細な調査は困難だった。東電の増田尚宏・福島第一廃炉推進カンパニー最高責任者は記者会見で、2号機が建屋の形状を保っているのを踏まえ、建屋上部からの調査が進めば燃料取り出しは円滑に進むとの見解を示した。 一方で「内部の状態が把握できていないため、調査を実施しなければ成功の可否は見極めきれない」とした。 廃炉に向けた中長期ロードマップ(工程表)では使用済み燃料の取り出し時期について1、2号機は「2023年度めど」3号機は今(2018年)秋ごろからの予定となっている。 使用済み核燃料プールに保管されている核燃料は1号機に392体、2号機に615体、3号機に566体ある。 4号機は2014年12月に全1533体を敷地内の共用プールに移送した。 ■5、6号機の未使用燃料 新年度から敷地外に初搬出へ  東京電力は2018(平成30)年度から福島第一原発5、6号機の使用済み核燃料プールにある未使用の核燃料計360体を取り出し、燃料製造元である原子燃料工業の東海事業所(茨城県東海村)に搬出する。 原発事故後、第一原発の核燃料が敷地外に運び出されるのは初めて。2018年3月29日、記者会見で発表した。 5号機の168体、6号機の192体を移送する。 6号機分は2019年1月ごろの搬出開始を目指し、5号機分は2020年10月ごろから順次運び出す方針。

放射線治療を受けた患者の遺体を火葬、職員や施設から放射線 AFP通信 2019年3月12日

放射線治療を受けた患者の遺体を火葬、職員や施設から放射線 米 2019年3月12日 10:00 発信地:ワシントンD.C./米国 医療施設にある放射能標識(2017年7月27日撮影、資料写真)。(c)ASHRAF SHAZLY / AFP 【3月12日 AFP】2017年末、放射性核種「ルテチウム177」による膵(すい)がん治療を受けたばかりの69歳の米国人男性が亡くなり、遺体は死後5日たって火葬された。  それから3週間後、アリゾナ州のメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)で放射線安全管理責任者を務めるケビン・ネルソン(Kevin Nelson)氏は、この男性が亡くなったのが別の病院だったため、それに気づくのが少し遅れてしまったことを不安に思い始めた。  ネルソン氏が以前勤務していたフロリダ州では、放射性物質が残留している遺体を火葬することは違法となっていた。だが、アリゾナ州ではどうなのだろうか。  調べた結果、アリゾナ州に関連法規は存在せず、違法ではないことが分かった。だが、州当局はネルソン氏の立ち会いの下、この火葬場の放射線量を測定することにした。  ガイガーカウンター(放射線測定器)を使って火葬炉、真空フィルター、遺骨の粉砕機を計測すると、ルテチウムが検出された。また、火葬場職員の尿検査を行ったところ、ルテチウムは検出されなかったが、別の放射性物質であるテクネチウム99がわずかながら検出された。テクネチウム99は、病院での診断検査に広く使われている。  別の患者を火葬した時に遺体に残留していたテクネチウムが高温で蒸発し、この職員はそれを吸引し、汚染されたと考えられた。 ■ごくわずかなレベル  ネルソン氏と同僚のネーサン・ユー(Nathan Yu)氏は2月27日、結果を米国医薬会雑誌(JAMA)で発表した。アリゾナ州のメイヨー・クリニックの放射線腫瘍科研修医であるユー氏は「火葬施設の汚染が記録されたのは初めてのことだ」と、AFPの取材に述べた。  ネルソン氏によると、検出された放射線量は「ごくごくわずかだ」という。また、この火葬場職員が浴びた放射線量は、米原子力規制委員会(NRC)が定めた一般公衆の年間線量限度に全く及ばない程度だと「非常に自信を持って言える」と付け加えた。 ■放射性医薬品での治療や検査は世界で4000万件  ペースメーカーや除細動器など、火葬中に爆発する可能性のある体内植え込み型の機器は、火葬前に火葬場で取り外される。だが、米国の多くの州では、遺体に残留している放射性物質という厄介な問題については対処してこなかったようにみえる。  AFPが取材したNRCの広報担当者によると、連邦レベルでは、放射線治療を受けた患者の遺体の処置について、火葬や解剖などを法律で定めているという。火葬業者については厳密に言えば規制していないが、規制に実効性を持たせるため、病院が火葬場に被ばくの危険性を報告することを義務付けている。  今回の場合、職員の被ばく線量は危険な水準ではなかった。だが、放射性医薬品には多くの種類があり、それらは異なる温度で揮発すると、ユー氏は警告する。  入手できる直近のデータとなる2006年の時点で、放射性医薬品を使用した治療や検査は全世界で4000万件に上っていたという。ネルソン氏らは、この危険性の評価方法を改善する必要があると訴える。  全米葬儀社協会(NFDA)はAFPの取材に対し、最近までアリゾナ州の件について知らなかったと述べた。だが、「この件についてのさらなる調査」を支援すると言明した。  また同協会は「火葬前に患者の遺体の放射線量を測定するなど」、火葬場の職員や一般市民を保護するための助言や勧告を歓迎すると述べた。(c)AFP/Ivan Couronne

九電社長 「出力制御、短期改善は困難」 年末や来春再実施も 2018年11月17日 佐賀新聞

九州電力社長は、「太陽光は、日光がある時しか電力を作れない。しかし、原子力発電は24時間作れる。」だから、太陽光発電の一部制限はやむを得ない、と発言しました。   それならば、夜間企業もほとんど操業していないし、一般市民も寝ている、夜間に原発はいらないですね。百歩譲って、電力消費が逼迫する、夏季だけ原発を動かしたら、どうでしょうか、九州電力さん。  でも、ここ数年、夏季でも電力需要が逼迫するのはありません。   2019年川内原発1号機、2号機、玄海原発3号機、4号機が、定期点検に入る2019年6月~10月以降は、原発いりません。 九電社長 「出力制御、短期改善は困難」 年末や来春再実施も 2018年11月17日  佐賀新聞  九州電力の池辺和弘社長は16日、都内で開かれた電気事業連合会の会見で、全国で初めて実施した本格的な再生可能エネルギーの出力制御に関し、「短期的に状況が改善するとは思えない。引き続き協力を願いたい」と述べ、電力需要が低くなる年末年始や来年春に実施する見通しを示した。  池辺氏は、出力制御を回避するには再生エネの電気をためる蓄電池が不可欠だとし、「豊前に設置した5万キロワットの蓄電池には約200億円かかり、成り立たない」と強調、低コストの蓄電池を開発する技術革新が必要との見方を示した。  原発と再生エネが対立しているとの指摘に対し、池辺氏は「対立ではなく、肩を組み二酸化炭素を出さない電気をつくっている。太陽光は昼間しかつくれず、原子力は24時間つくれる」と話した。        

川内原発1号、2018年5月30日に稼働再開 九電、定期検査で停止 佐賀新聞 2018年5月29日

川内原発1号、30日に稼働再開 九電、定期検査で停止 2018年5月29日  佐賀新聞  九州電力は29日、定期検査のため運転停止中の川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)を、30日午後9時半から再び稼働させると明らかにした。翌31日に核分裂反応が安定的に持続する「臨界」に到達し、6月5日に発電を再開する予定。  川内1号機の定期検査は、新規制基準の下で2015年8月に再稼働して以来2度目で、1月29日から実施していた。  検査では、玄海原発3号機(佐賀県玄海町)で配管に穴が開き、蒸気が漏れたトラブルを受け、同様の配管の調査も行い、問題がないことを確認した。また、1次系のポンプを冷却するための海水ポンプや、配管類の取り換えなども実施した。  川内原発では2号機も4月から定期検査に入っている。8月下旬に原子炉を再び起動して8月31日に発電再開を予定している。 九電川内1号機が運転再開 定検で停止、来月から発電 2019年5月30日  佐賀新聞   3/22   HOME 全国のニュース 九電川内1号機が運転再開 定検で停止、来月から発電 2018/5/30  九州電力川内原発の1号機(手前)と2号機=鹿児島県薩摩川内市 拡大する  九州電力は30日、定期点検のため停止していた川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の原子炉を起動させ、運転を再開した。31日に核分裂反応が安定的に持続する「臨界」に到達し、6月5日に発電を再開する予定。  川内1号機は新規制基準の下で2015年8月に全国の商業原発として初めて再稼働した。定期検査は2度目となる。  定期検査では、運転中だった17年3月以降、原子炉内の冷却水で通常よりもヨウ素濃度が高い状態が続いた原因を調査。燃料棒1本からヨウ素剤が漏れ出していたことを突き止め、交換した。  ただ、燃料を取り出す前の冷却水の放射性物質の濃度を下げる作業に時間がかかり、定期検査の期間は当初の計画より約3週間延びた。  川内原発では2号機も今年4月から定検に入っている。8月下旬に原子炉を再び起動して8月31日に発電再開を予定している。      

北海道知事選、公約出そろう 政策論争が本格化 2019年3月15日 日本経済新聞

北海道知事選挙の争点は、泊原発の再稼働の是非。 しかし、NHK,北海道テレビ放送は、泊原発問題を一切、報道していません。非常に汚ない世論操作。争点を報道するべきです。2019年3月22日、北海道新聞でも3面で「2人は、道と国との関係やカジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)の誘致、JR北海道の路線見直し問題、北電泊原発(後志管内泊村)の再稼働といった争点に違いがある。」と書きながら、本文では、「石川が脱原発、カジノ反対に加え」だけの一言でのみ、言及。記事の最後に「対する鈴木は(中略)原発再稼働は『総合的に判断』するという立場。」としか触れていません。北海道で2018年9月、なぜブラックアウトが起きたのか?今後、直下型の地震が起きた場合に、二度とブラックアウトを起こさないためには、どうするべきか?新聞が書くべきです。新聞が原発再稼働が争点であることをを隠す役割をしています。   北海道知事選、公約出そろう 政策論争が本格化 2019年3月15日 日本経済新聞   4月7日投開票の北海道知事選に出馬する前夕張市長の鈴木直道氏(38)と元衆院議員の石川知裕氏(45)の公約が出そろった。鈴木氏は道内外の個人や法人からの寄付・出資を募る「ほっかいどう応援団会議」の結成を軸に据える。石川氏は道内の有識者らを集めた会議を中心とした道政運営を目指す。人口減少やJR北海道の路線見直しなど論点・争点は多い。 鈴木氏 14日に38歳の誕生日を迎えた鈴木氏は約150本の政策からなる公約を発表した。目玉に据えるのが、北海道にゆかりのある経済人や文化人などでつくる、ほっかいどう応援団会議の結成だ。 石川氏 地方自治体に寄付した企業の税負担を軽くする「企業版ふるさと納税」やインターネットで小口資金を募る「クラウドファンディング」の活用を想定。北海道を応援する個人や法人からお金を提供してもらう仕組みとなっている。鈴木氏は「人口減少のまま縮小する未来でなく、多くの力を結集して活力あふれる北海道を作りたい」と力を込めた。 JR北の路線見直し問題は「必要な路線は守り抜き、必要な財源も国に話をして獲得するのが大前提だ」とした上で「道民の足をどう守るかが大切だ」と主張。カジノを含む統合型リゾート(IR)施設の誘致は長所と短所が両面あると指摘。道がまとめる「基本的な考え方」を基に「道民目線で判断する」とした。 一方、石川氏は11日に公約を発表。8つ掲げる政策の目玉は道内の市町村長や経営者らでつくる「北海道経営会議」の創設だ。同会議を毎年開き、道が直面する課題を議論して方向性を決める。石川氏は「多様な道民の声を聞きながら道政運営を行いたい」とした。 石川氏はJR北の路線見直しは「道庁がリードし鉄路を活用する」と主張。維持に必要な財源は国などと協議する考え。IR誘致は「賛成できない」として反対姿勢を鮮明にした。北海道電力泊原子力発電所(泊村)の再稼働は鈴木氏が「原子力規制委員会の審査が続き、その答えがどうなるかわからないなかで言及するのは無責任」と説明。「脱原発」を掲げる石川氏は「原子力に頼らない仕組みを作りたい」と述べた。 石川ともひろ 北海道知事候補 8つの重点政策 石川ともひろ オフィシャルWEBサイト 「北海道経営会議」の創設「北海道経営会議」の創設、「新・北海道憲章」の制定で自ら決める道政を実現 「支え合いマップ」でつくる安心社会住民同士の顔が見える「住民支え合いマップ」で安心と信頼の地域社会を創る 「新・子育て支援パッケージ」で笑顔に健やかな育ちを支える「新・子育て支援パッケージ」で子どもと共働き世代に笑顔を カジノより北海道らしい文化と経済で世界に飛躍北海道のひと・もの・文化を世界とつなぐ“Local to the World”の経済政策を推進 「食」と「農」で潤いある地域をつくる農林水産業を守り育て、食と農を活かして持続的で潤いある地域社会を創造 「脱原発」に向けて新技術で「エネルギー革命」原子力に頼らない北海道をめざし、新技術で「エネルギー革命」を推進 道庁がリードし鉄路を活用JRは鉄路の活用めざし道庁がリード。生活と地域を支える「交通革命」を推進 命を守る防災・減災を推進被災地への支援を強化し、情報基盤と地域の態勢整備で防災・減災対策を推進  

鎌田實氏の内部被ばくに関する認識の問題点(2)

日本チェルノブイリ連帯基金の設立者であり、JIM-NET(ジムネット)の代表でもある、鎌田實氏が、大熊町でも住める、というコラムを毎日新聞に掲載しました。2019年3月17日毎日新聞朝刊8面。「さぁ、これからだ 鎌田實」  たった数ヶ所の、それも数値を低くいじられているモニタリングポストの数値だけで、「大熊町でも人が住める」とは、チェルノブイリやイラクの人々を支援してきた実績は一体、何のためなのかと疑われます。しかし、鎌田實氏の放射線防護の知識は、山下俊一氏からの受け売り。以下、2011年4月19日発行の週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談に、鎌田實氏の放射線防護の致命的な問題が浮かび上がっています。 週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談 毎日新聞に掲載された、鎌田實氏のコラム「さぁ、これからだ」は以下。 さぁ、これからだ 8年たっても復興の道険しく   鎌田實 毎日新聞 2019年3月17日 朝刊8面た 人影がない大熊町のかつての繁華街=今年2月(鎌田さん提供)  2月末、福島第1原発の立地自治体である福島県大熊町の人が集団で避難している同県会津若松市の復興住宅を訪ねた。  中学生と小学生の男の子を育てている34歳のシングルマザーAさんと出会った。震災の直後は福島県内の避難所に身を寄せ、その後は東京の親戚の家、同県喜多方市を経て、現在の会津若松市と転々としながら生きてきた。その避難の日々の中、離婚もした。つらい8年だったのではないかと想像する。  3人とも明るい顔をしている。どこの学校でも、良いことも悪いこともあったという。人生に負けていないように見えた。今の住居も受け入れて、愚痴を言わず、前を向いて楽しく生きようとしているようだった。  雪が多くて大変と言う。同じ福島県でも全然気候が違うのだ。大熊町には新築に近い家があったのに、小さな復興住宅で暮らす。つらいだろうなと思った。    Aさんと中学生の長男が震災前に住んでいた大熊町の家へ一時帰宅すると言うので、一緒に訪ねた。  大熊町は、福島第1原発がある町だ。震災と原発事故後は立ち入りが禁止された。何度か許可を得て一時帰宅したことはあるそうだが、久しぶりに対面する我が家は、とんでもなく荒れていた。靴箱や椅子は、地震で倒れたときのまま。さらに2人を驚かせたのは、部屋の真ん中に衣類が乱雑に放り出されている光景だった。  誰かが勝手に侵入したみたいだ。がくぜんとするAさん。震災と原発事故で家に帰れなくなった人の心を、文字どおり土足で踏み荒らす行為に、こちらも胸が痛くなった。  長男がキッチンで何かを発見した。冷蔵庫のドアに、学校の便りがマグネットでとめられたままになっていたのだ。日付を見ると、震災の1週間前。彼はなつかしそうに見つめていた。  じっくりと家のなかを見渡すと、かつての生活がうかがえた。ピンクの壁紙やピンクのカーテン、吹き抜けのモダンなリビング。二つのすてきな子ども部屋。夫と共働きをしながら2人の子どもを育てる幸せな生活がここにあったのだ。失ったものを目の当たりにして、「寂しくなる」とAさんは言った。  そんなAさん親子だが、この春、大きな決断をした。長男の高校進学を機に、大熊町に戻って来ることにしたのだ。元の家には戻れない。除染の済んだ地域に新設された公営住宅だけが6月から居住許可が出る。  長男が進学するのは県立ふたば未来学園高校。復興のカギは人材教育にあるとして、2015年に開校した。「原子力災害からの復興を果たすグローバルリーダーの育成」を掲げる未来創造型教育を展開する高校。特色あるカリキュラムを組み、たくさんの著名人も、応援団として名を連ねている。  4月から、弟は隣の富岡町の小学校に通う。Aさんは、自分も2人の子どもも夢を持って生きていきたいと願っている。会津では希望の仕事がなかなか見つからなかった。大熊町では見つかりそうだという。  今年1月、大熊町が避難した町民全5176世帯を対象に行ったアンケートでは、回答した1863世帯のうち、大熊町に戻りたいと考えている人が14・3%、まだ判断がつかない人が28・4%、戻らないと決めている人が55%という結果になった。戻りたい人も、戻らないと決めた人も、苦渋の選択なのだと思う。  大熊町では、原発から7・5キロ離れた大川原地区を中心にして、復興をすすめてきた。この地区はすでに除染が済み、毎時0・23マイクロシーベルト以下の比較的放射線量が低い所が多い。これは、年間約1ミリシーベルト以下に相当する。ぼくはチェルノブイリの汚染地域の子どもたちの医療支援を続けてきたが、この年間1ミリシーベルト以下というのは人が生活できるかどうかの大切な目安になっていた。  この地区に50戸の公営住宅や役場の新庁舎ができる。来年春を目標に、町内のJR大野駅が再開し、常磐線も全線開通するという。  8年たっても復興の道のりは険しく、苦渋の選択をしながら生きざるを得ない人たちがいることを忘れないようにしたい。(医師・作家)

鎌田實氏の内部被ばくに関する認識の問題点(1)

日本チェルノブイリ連帯基金の設立者であり、JIM-NET(ジムネット)の代表でもある、鎌田實氏が、大熊町でも住める、というコラムを毎日新聞に掲載しました。2019年3月17日毎日新聞朝刊8面。「さぁ、これからだ 鎌田實」  たった数ヶ所の、それも数値を低くいじられているモニタリングポストの数値だけで、「大熊町でも人が住める」とは、チェルノブイリやイラクの人々を支援してきた実績は一体、何のためなのかと疑われます。しかし、鎌田實氏の放射線防護の知識は、山下俊一氏からの受け売り。以下、2011年4月19日発行の週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談に、鎌田實氏の放射線防護の致命的な問題が浮かび上がっています。 チェルノブイリと福島原発、同じ病巣と相違点 2011/4/19 週刊朝日 鎌田實さんと山下俊一教授が緊急対談  国連の放射線影響科学委員会のワイス委員長は4月6日に「福島第一原発の事故はチェルノブイリより被害は小さいがスリーマイルより深刻」と発言した。チェルノブイリに何回も行っている『がんばらないけどあきらめない』の鎌田實さんと被ばく医療の第一人者、長崎大学の山下俊一教授にチェルノブイリの教訓などについて話し合ってもらった。 鎌田:僕は放射能問題でわからないところがあると、山下先生に毎日のように電話で聞きました。たいへん心強いアドバイザーでした。 山下:いまは福島県のアドバイザーになりました。鎌田:僕は山下先生を人間として信頼しています。山下先生は東京電力から研究費はもらっていませんよね。 山下:もらっていませんが、欲しいですね。(笑)鎌田:こういう点が大事だと思うんです。山下先生は科学的に健康に大丈夫な範囲とか明確にしようと必死ですが、先日のNHKテレビで山下先生が出演したのを見て少しがっかりしました。大丈夫と繰り返されましたが、なぜ大丈夫なのか、時間をかけて説明していただきたかった。山下:私は1991年にチェルノブイリに初めて入ってから20年間仕事をしてきました。チェルノブイリ周辺はもう100回以上行きました。見えないものへの恐怖心を払拭することがどんなに難しいか痛感しました。鎌田先生と最初に会ったのもチェルノブイリでした。鎌田:はい。最初の1991年です。僕もこれまで9回行きました。山下:チェルノブイリを歩いていてよく現地のおかあさんに「この子は大丈夫だろうか。結婚できますか」と質問されます。汚染地域に500万人近い人が住んでいますし、汚染食物も食べている。しかし、僕は答えを持たない。そんなときに「私は長崎から来ました。被爆2世です」と言うと、会場の暗い雰囲気が変わる。広島・長崎は反核ということだけではなく、聞く相手に安心感を持たせます。現場を歩くことが私のモットーです。私はWHO(世界保健機関)にも2年間行って、放射線事故の国際対応もしました。鎌田:正式にはジュネーブにどんな職名で行かれていたのですか。山下:放射線プログラム専門科学官として世界の安全防護と緊急対応のシステムづくりをしました。2007年に長崎に戻りましたが、今回の福島原発の情報が入ってきたのは大震災翌日の3月12日。すべてマスコミからでした。鎌田:専門家の山下先生のところに一報も入ってこないのですか。山下:屋内退避から避難。最初は3キロから10キロ。これはマニュアルどおりだったと思います。そのあと20キロにした。安全なところに避難したのだから大丈夫なはずなんですね。ところが20キロから30キロ圏内が屋内退避になった。これを聞いて僕はおかしいなと思いました。長崎大学のスタッフには14日に福島に入ってもらっていました。福島のスタッフからは「福島市はいま雪が降っています。計測器が雪にガーガー音を立てています。放射性物質が降り注いでいる」と報告がありました。鎌田:20キロから30キロの屋内退避の指示が出されたのは15日です。山下:問題は医療関係者も行政も放射能や放射線の知識が乏しくパニックになったこと。僕は要請がなければ現地支援に入れない。福島県立医科大学の理事長が僕に電話してきたので、18日の朝一番で飛びました。入ってびっくりしたのは、みんな浮足立っている。これだけ原発があるのに事故があると想定していない。専門家もいない。全くの安全神話の中にいたのです。それで原子力災害の現地対策本部であるオフサイトセンターのある県庁にも行きました。保安院や経産省、厚労省、自衛隊など人数がたくさんいて、はじめは調整がうまくついてない。原子力災害の場合、中央官庁と直結です。県はわからんからぜんぶ聞く。中央では諮問委員会に質問を出す。答えはなかなか返ってこない。現場は困ってるのに、情報が途中でマスコミに先に出ちゃって、現場に対する説明がない。これはまずかった。佐藤(雄平)知事も非常に懸念されて私をアドバイザーにして、20日から、いわき市、福島市、郡山、田村、いろんな町をまわりました。鎌田:そのまわってる間にも僕は何度も電話しましたが。(笑)山下:チェルノブイリのときもそうですが、現場を歩かないとわからない。鎌田先生から電話があったときはうれしかった。鎌田先生には南相馬にぜひ入ってほしかった。チェルノブイリと同じで、汚染と聞いただけで医師も入りたがらない。とくに屋内退避の20キロから30キロゾーンには誰も行きたがらないし、物も運ばれない。まさに最初の1、2週間は現地への支援は空白でした。 ◆あわてた官邸と保安院、情報開示に失敗した◆鎌田:ある病院では、院長が、ぜひ残ってほしいが、自主判断でいいと言ったら、半分ぐらいのスタッフがいなくなった。医療用酸素がないとか、医薬品がない、残った医者はもうへとへとだというのを聞いて、諏訪中央病院の院長にお願いして医師や看護師と南相馬に入りました。いままた諏訪中央病院のチームが南相馬に3日間入っています。山下:拠点となるべき福島医大には、現場の作業者が運ばれてくる可能性がありました。水素爆発もありましたし、足もある程度汚染した人もいたから。そういう人たちを迎えるときの除染、緊急時の対応を福島医大・自衛隊といっしょにつくりあげた。福島医大は巡回医療も7チームつくった。立派です。いまは中長期にわたる地域医療戦略を練っています。鎌田:そういう状況のなかで、この日本を壊さないためにどうしたらいいのか。誰だって余分な放射能を浴びるべきではないと思う。その前提で、避難問題を聞きたいのですが、3月11日にまず3キロ圏避難と、その後20キロから30キロ圏内の屋内退避。その時点では妥当だったんですね。山下:間違いなくそうです。鎌田:12日の朝に、その3キロ圏をやめて10キロ、さらに20キロ圏にした。このときに、僕は、チェルノブイリをずっと見てきたので、やっぱり何度も移動するということ自体、国民の信頼を失うことだと思った。避難所を移るというのは、過酷です。動かすとすれば勇気をもって30キロ圏じゃないかと思いました。山下:20キロと倍にした根拠はいろいろと後付けになるかもしれませんが、ここまで逃げれば大丈夫だろうと踏んだと思います。屋内退避にした理由は、前日に水素爆発が起こったからです。泡をくったと思います。しかし、3週間も屋内退避を解除できないとは普通は考えられない。屋内退避のあとは避難です。ただ、1号から4号機まで問題が次々と起きて戦場と化しました。その証拠が官邸のあわてた対応でした。混乱の中では迅速に情報が開示できず、説明責任を国内外に対しうまく果たせなかったと思います。鎌田:僕は、官邸はドジだなあと思った。山下先生だったら、世界にメッセージを出せるわけじゃないですか、日本がやっていることを。山下:いや、逆だと思いますよ。僕は、福島の現場に入らなかったら、こんなことは言えなかった。官邸にいれば、下から上がってくる情報だけで判断しますから。原子力安全委員会は情報不足だったと思います。非常時に平常時のマニュアルどおりにしようとするから、こうなっちゃう。まずは現場を見て、現場で判断して、的確な情報発信をすることです。遅ればせながら国もそういう放射線リスク管理アドバイザーをつくったり、外部からの原子力災害医療専門家チームをつくったりしています。 ◆3週間以上も屋内退避、理由がわからない◆鎌田:僕が南相馬に入った以前から、屋内退避、そのあと自主避難要請ということになるわけですけども、決定が非常に曖昧です。あれは短期間の処置ですよね。長期間やるのなら、人と物をしっかり外から入れるということが大事。そのことを官邸はやれなかったなあと思って。山下:まさにそうです。屋内退避させたら、退避した人たちを支援しなくちゃいけない。それは24時間です、ふつうは。24時間たったら避難か安全宣言するのが原則です。それをいずれもしなかった。理由があるんでしょうね。よくわかりませんが。チェルノブイリのあの土壌汚染のマップを見てわかるように、汚染は風向きでまだらに飛ぶから同心円では広がらない。あくまでも行政区分です。僕はずっと30キロ外でも必要に応じて避難させんとだめだということを言ってるんです。そういう話をちらっとしたら、4月5日、飯舘村の菅野典雄村長は、「わしはがんばる」とはっきり言いました。村を再生して、世界の放射線安全宣言のモデルになると言っています。感銘しました。政府は6日、妊婦さんと3歳までの子どもたちは外に出して、経済的保障をすると言ってきました。現場の声が届いたと思います。しかし、村の苦難は続きます。鎌田:マスコミにあんまり大きく取り上げられませんでしたが、あれは大ヒットです。低線量被ばくについては、意見がいろいろ分かれていて、まあその質問を先生には一回電話でしつこく聞きましたが、たとえば100ミリシーベルトの被ばくを受けると、0・5%ぐらいがんになる率が高くなるという研究論文も出てます。山下:いま議論していることは、少ない量を1年間飲み続けたり、食べ続けたり、そこに住むと、自然界の数倍、あるいは10ミリシーベルトを超える。だからいまは障害は起こらないけども、将来はわからないという表現をしているわけです。僕はそれにあえて「大丈夫だ」と言うわけですよ。理由は、1回、100ミリシーベルト浴びると、細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞の傷が1個できます。1個の傷は体はすぐ治します。100個の傷はときどきエラーが起こる。遺伝子は傷がついても治るんだということが大前提です。チェルノブイリでも、一般住民の低線量被ばくが問題ですが、唯一起きた病気は、子どもの甲状腺がんです。世界中で、内部被ばくのデータがあるのはチェルノブイリだけです。だからチェルノブイリの経験が福島に生かされるんです。日本政府はすぐに、汚染やそのときの吸入を防ぐだけでなく、口から入る食物連鎖をストップさせたわけです。暫定基準をつくって。このやり方は、チェルノブイリの教訓が生かされたと思います。鎌田:じゃあ、食べることに関して、つまり内部被ばくを防ぐことに関しては、かなり慎重に神経質になってもいいということですか。山下:日本人そのものが食の安全に対してセンシティブです。ハエがたかっても食べないでしょう。そういう文化に育ってますから、日本人はパニックにこそなれ、放射能汚染物質を食べ続けることはないですよ。鎌田:1ミリシーベルトと100ミリシーベルトでは、100ミリシーベルトはもしかしたら何か起きるかもしれないというのを、先生も認めていて、1ミリシーベルトだったら、先生は、まず問題がないと思われるんですね。 ◆福島に日本の英知結集、被ばく対策の拠点作り◆山下:僕の「大丈夫」という話を聞くと、山下に騙されると言う人がよくいます。放射線自体が大丈夫というわけでは、ありません(笑)。でも、結局、誰かが現状の安全や安心を正しく言い続け、放射線を理解させないといけない。そうしなければ、大事な単位をわかろうとしなくなる。いまは天気図みたいに、ニュースで地区ごとに1時間あたり0・5マイクロシーベルトとか出てくるんです。正しく怖がるために、その安全域を示すのがわれわれの責任です。花粉症や紫外線の数値のようなものです。鎌田:僕は哲学がだいじじゃないかなと思っています。哲学がこの国になくなったから、こういうことが起きてしまった。自己批判してるんですけども、チェルノブイリに僕は20年通って、原発の持っている危険をわかっていながら、日本のいま置かれている状況や若者の雇用を増やすために、原発はやっぱりしょうがないかなあとかって思ってしまった。これ以上原発を増やさせなければいいと考えていた。この国に漂っている空気に負けた自分に問題があったんじゃないかと考えたりします。いまは中長期という言葉の具体的な期間についてを住民はいちばん知りたいと思いますが。山下:放射性降下物の影響から考えると何年も続かないでしょうね。広島・長崎の原爆のことを思い出してもらえればいいと思います。あのあと、草木も生えないと言われた。でも、3カ月目からもうすぐにみんな戻ってきて、復興しました。そのひとつの理由は、日本は恵みの雨の国なんですよ。放射性降下物は、だいたい雨に洗い流されます。セシウム137は30年の半減期だから、けっこう土壌に残るんですが、じゃあ30年かというと、おそらくその半分、あるいはもっと短いと思いますよ。日本のハイテクはすごい。土壌の改善とか改良技術を最大限に生かすと思います。問題は、長期の健康影響です。いまの子どもたちががん年齢になったとき、本当にこの被ばくの影響がないのか。私は福島に日本の英知を結集してそういう拠点をつくるべきだと主張しています。鎌田:放射性降下物の量で比べると、僕は日本もチェルノブイリの50分の1ぐらいの被害を受けてるんじゃないかなあと思ってるんですけど、違いますか。山下:私はチェルノブイリの100分の1ぐらいと聞いています。それは、かなりの量が出たということです。鎌田:僕は南相馬の後に、少し時間を置いて石巻、女川などに入りました。石巻とか、女川では3週間たってもお風呂に入ってない人たちがかなりいます。阪神大震災とか中越地震のときは、まあ10日目ぐらいには多くの人は1回はお風呂に入ってました。医師の立場から言うと、お風呂に入ると、感染症対策にもなるし、精神的なダメージを克服できる。それがずいぶん遅れてると思いました。東北の人のがんばりはすごい。立派なもんだと思う。だから、その人たちがくじけない間に、物も人もカネも、僕たちがしっかり投入するということがだいじで、投入することによって新しい日本が生まれてくるはずです。     *やました・しゅんいち 1952年、長崎県生まれ。長崎大学大学院の医歯薬学総合研究科長。91年からチェルノブイリ原発事故後の国際医療協力を主導。2005年から2年間、世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めた    *かまた・みのる 1948年、東京都生まれ。諏訪中央病院名誉院長。91年に日本チェルノブイリ連帯基金を設立し、ベラルーシに18年間で医師団を91回派遣し、約14億円の医薬品を支援してきた。著書に『がんばらない』『あきらめない』『なげださない』など。ホームページhttp://www.kamataminoru.com 週刊朝日 

原告Aさんの意見陳述 「管理区域」は人が生活できる場所ですか? 原発事故賠償訴訟名古屋地裁で結審 2019年3月12日名古屋地裁

 2019年3月12日、原発事故賠償訴訟が名古屋地裁で結審されました。同日の口頭弁論で2人の方の原告意見陳述がありました。うち、Aさんの意見陳述全文を紹介します。 「管理区域」は人が生活できる場所ですか?  原告 A 2019年3月12日  「『管理区域』は、放射線のレベルが法令に定められた値を超えるおそれのある場所で、放射線業務従事者以外の者が立ち入らないような措置の講じられた場所である。 ① 外部放射線に係る線量については、3月間につき1.3ミリシーベルトを超え、 ② 空気中の放射性同位元素の濃度については、3月間の平均濃度が空気中濃度限度の1/10を超え、 ③ 放射性同位元素によって汚染される物の放射性同位元素の濃度が、表面密度限度の1/10を超える おそれのある場所をいう」  即ち管理区域は ① 空間線量で言えば年間5.2mSv ② 空気中の放射性物質の濃度は1/100万Bq/cm3 ③ 表面汚染密度で言えば4Bq/cm2  これはご存知のように放射線障害防止法で規定の規則です。  冒頭の部分には放射線業務従事者以外の者がみだりに立ち入るべきでないのが管理区域であると謳っています。  私たち一般公衆もこれまで、この概念で放射線から守られてきたはずです。  放射線業務従事者は自らの職業選択等の自由判断によって管理区域に入ります。  しかも彼らはそこでの労働の対価として利益を得ることが出来ます。  しかし、私たち一般公衆については、それらの利益も無ければ放射線業務従事者のように線量計を帯同する、全面マスクをする、作業時間を管理する等の放射線防護措置を取る事も出来ません。  24時間365日、身体の内外から被曝させられ続ける現状が目の前にあります。  18歳に満たない者は放射線業務従事者になる事が出来ません。  原発等の管理区域では飲食禁止ではないですか?  8年という時間が過ぎても、私たちの住んでいたところは管理区域と同等以上の環境のままです。  国が管理区域と同等以上の環境下に18歳未満の子供たちを放置する事は法令、規則違反になると言えませんか?  憲法には国は国民を守る義務と責任があると明記していますが、被災し困窮している国民の現状を知らぬふりをし続ける事は、私たちに保障されている様々な権利を剥奪しているものではないでしょうか?  一般公衆被曝限度の年間1mSvも無視し、20mSvというとんでもない環境下で住めるなどというのは、人としての尊厳をあまりにも軽視しているものといえます。  だからこそ私たちは被災者として避難を選択し、避難し続けているのだと言えます。  国が決めた区域区分は被災者の為に決められた境界ではありません。  放射性物質は県を越えない、町を越えない、道路を越えない。そんなおかしな行政的都合で、考え方で切り捨てられ苦しめられているのが避難者であり被災者であると言えます。  今、帰還できない環境作りが各地で進められています。  爆発により放出された放射性物質で国土が汚染されたからといって、フレコンバックに詰め、集約されたはずの汚染土壌を再び開封して園芸用作物の土壌材として使う。高速道路の拡張工事の基盤材として汚染土壌を使う、トリチュウム汚染水の海洋投棄等々。  帰還を勧めながらも汚染物質の拡散ばかりを推し進め、住めない環境ばかりを産み続けている事実を直視して下さい。  線量が下がったからといって帰還を促している福島県や、この裁判の本人尋問の中でも被告の国や東京電力が、空間線量が下がった根拠として取り上げて来た、各所のモニタリングポストの測定値は、単にその一地点のみでの観測結果でしかありません。  測定値は必ずしも原告らが暮らしていた個々の場所での測定値ではないことは留意されるべきでだと思います。  また、私たちは空間線量が低下した事だけで、避難の権利が否定されるべきではない証拠として、避難元の土壌を採取し分析依頼し、その結果を裁判所に提出しています。  その分析結果は先程の管理区域の基準値をはるかに凌駕する地点が多数存在することを示しています。  あるいはこの事実は、福島県で子供たちに甲状腺がんが増えている事の証左になるのかもしれません。  予防原則という立ち位置こそ、このような事故に対しては認められるべきだと思います。  帰りたくても帰れない。その状況を産んだのは国であり、東京電力であります。  国と東京電力は、事故原因を作った責任を認め、完全なる損害賠償を果すべき義務があります。  一つの企業の、一つの国の論理ではなく、人を人として認める社会倫理こそが、求められ問われているのがこの裁判だと思います。  そしてまたこの裁判は、日本という国が誰の為の国家であるのかについても世界中が注目している裁判であることを忘れないで頂きたいと思います。 2019年3月13日 中日新聞 27面

広島原爆「黒い雨」裁判  次回は2019年5月29日(水)11:00広島地方裁判所

 広島原爆の「黒い雨」は、宇田氏が調査した範囲(宇田雨域、と呼ばれます)を遥かに超えて、爆心地から北北西約45km、東西36kmに渡って降りました(増田善信,1989年,※)。こうした広範囲に生活していた住民は、黒い雨、あるいは白い雨を浴び、また、放射能で汚染された川や井戸の水を飲み、放射能の雨で汚染された野菜を食べました。これは原爆が産み出した放射能を皮膚から呼吸や水・食べ物から取り入れた内部被ばくです。「被爆者援護法」では、3号被爆者(※)に当たります。  原爆攻撃を受けたときに、0歳から20歳だった住民は原爆攻撃から74年。74歳~94歳になっています。実に4割が、原爆症認定の対象となっている11疾患の、さまざまながん、疾病(※)にかかっています。  しかし、現在、広島市と国(厚生労働省)は、広島原爆の黒い雨大雨地域(宇田雨域の大雨地域)のみを健康診断特別地域に指定しています(上図一番右の網掛けで囲まれた地域,豪雨とある)。「黒い雨」を浴びながらも国の指定した地域にいなかった88名の被爆者は、狭い宇田雨域だけではなく「黒い雨」の降った、爆心地から北北西約45km、東西36kmで雨を浴びた者すべてを被爆者として認定し、健康管理手当(※)の支給を広島市と国、厚生労働省を相手に求めています。これが「黒い雨」裁判です。  広島地裁での裁判の傍聴に参加してください。また、広島原爆「黒い雨」裁判を支援する会に参加してください。 「黒い雨」訴訟を支援する会 【次回裁判期日】2019年5月29日(水)11:00開廷 広島地方裁判所(市電 縮景園前 下車、徒歩5分) 「黒い雨」被爆者健康手帳交付請求事件 黒い雨訴訟支援募金 郵便振替 01330ー3ー91477 原爆「黒い雨」訴訟を支援する会どうぞよろしくお願いします。 ※ 3号被爆者とは 西日本新聞 word box 2009年3月26日 より  被爆者援護法第1条3号で定める被爆者。直接被爆者(1号)や原爆投下後2週間以内に広島、長崎に入市した人(2号)以外で「投下の際、またはその後に身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を指す。被爆者の救護や搬送に携わったり、放射性降下物「黒い雨」を浴びたりしたケースなどがある。2008年3月現在で約2万5000人おり、1、2号や胎内被爆者(4号)とともに被爆者健康手帳が交付されている。 ※ 被爆者の健康管理手当の対象となる11種類の疾患とは 解説:健康管理手当の対象となる11種類の障害と支給期限 東友会(東京都原爆被害者協議会) ※ 被爆者の健康管理手当とは 東友会ホームページより 健康管理手当 毎月34,430円 指定された病気にかかって医師の管理下にある人  健康管理手当は、被爆者の9割が受けている手当です。この手当の条件は、被爆者健康手帳を受けている人が、指定された11の障害をともなう病気にかかっていて、治療や経過観察を受けていることだけです。被爆の状況や、被爆した距離は、この手当の条件ではありません。  病気の原因が明らかに原爆以外にある場合(遺伝・生まれつき・伝染病・中毒・事故・天災など)は、受給できません。医療特別手当、原爆小頭症手当、特別手当、保健手当と一緒には受給できません。  健康管理手当を受けている人のほとんどの更新手続きが撤廃され、終身支給になりました。しかし、申請病名や診断書の書き方によっては、更新が必要になります。健康管理手当をいつまで受けられるかは、「健康管理手当証書」に記入されていますので、確認してみましょう。  終身支給になっている病名で治療を受けている場合は、終身支給に変更できます。変更の申請は、その人の健康管理手当の更新申請のときとされています。  健康管理手当の更新手続きが必要な人には、期限の2カ月くらい前に、東京都から本人に通知書と更新用の申請用紙が郵送されます。このとき、指定された病気が治っている人、指定された病気にかかっていても治療を続けていない人は、手当を継続できない場合があります。 ※ 広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月 より  図2(上図の一番左)は全体の雨域を示したものである。ただし、爆心地付近は概略図である。この図で実線は今回の調査によって決定した「小雨域」と「大雨域」で、点線は宇田らが決定した「小雨域」と「大雨域」である。今回の調査によって、少しでも雨が降った地域は爆心から北北西約45キロメートルの広島県と島根県の県境近くまで及び、東西方向の最大幅は36キロメートルにまで達していた。その面積は約1,250平方キロメートルで、宇田らの雨域の約4倍に相当する。またその形は宇田らの雨域のような単純な長卵型ではなく、やや複雑な形をしている。特に大雨域は、宇田らの小雨域と匹敵する位の広がりをもっていたことが推定された。ただし、この調査でも小雨域の周辺部の資料の数は極めて少ないので、今後の調査によって変更される可能性がある。  今回の調査でいま一つ明らかになったのは、今まで雨がなかったと考えられていた爆心の南側でも弱い雨があったことである。すなわちこの図の海田市や仁保のほか、この図に入らない、呉、江田島向側部落、倉橋島袋内部落でも弱い雨が降ったことが報告されている。倉橋島袋は爆心から南南東約30キロメートル離れている。 広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月 ※ 「黒い雨 内部被曝の告発」 広島県「黒い雨原爆被害者の会連絡協議会 2012年7月30日 600円  「黒い雨」を浴び、または、汚染された川・井戸の水を飲み、川遊びをして、のちに健康を害した、58人の証言が載っています。増田善信氏、矢ヶ崎克馬氏、沢田昭二氏の論文も掲載されています。

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